コラム・エッセイ
第2回 スペイン・インフルエンザの発生
大正期 スペイン・インフルエンザと山口県の人々 小林啓祐今回は、スペイン・インフルエンザが山口県で猛威をふるい始めた時期の記事を見ていきます。
写真は1918年10月23日の『防長新聞』です。「山口中學校の臨時休業」という見出しです。当時、インフルエンザは感冒(かんぼう)と呼ばれていました。
厚狭郡高千帆村(現在の山陽小野田市の一部)で最初に見られた感冒患者は、一気に山口県内に広まっていきます。この記事では、山口中学校(今の県立山口高校)の生徒213人が「流行性感冒」のために休んだため、22日より5日間「臨時休業」することが報じられています。
さらに、学校には山口県庁から防疫官が出張し、校内と寄宿舎の消毒をしたと言います。そのうえで、生徒の家族に対して閉鎖すること以外にも、学生はなるべく家にいること、空気伝染するのでうがいをすることなどが連絡されました。
まだ、この時スペイン・インフルエンザの情報はほとんどありませんでしたが、インフルエンザ自体の情報はありましたのでこのような連絡ができたのです。
しかし、その後の、流行のスピードは著しいものでした。10月19日には発症は20人程度だったものの、21日には190人に急増していました。今でもインフルエンザは一気に広まりますが、当時も同様だったのです。
記事で全校生徒は590人ほどだったとありますので、およそ3分の1の生徒が一気に発症してしまったことになります。こうした結果を受けて、県庁からの指示で学校閉鎖は決められました。
1918年10月23日『防長新聞』= 山口県立中央図書館所蔵
