2026年06月06日(土)

コラム・エッセイ

第10回 山口県におけるスペイン・インフルエンザ「第一波」

大正期 スペイン・インフルエンザと山口県の人々 小林啓祐

 これまで1918(大正7)年冬に山口県で蔓(まん)延したスペイン・インフルエンザの猛威についてみてきました。実はこれは「第一波」で、次の冬に第二波がやってくるのですが、まず「第一波」について、データをまとめてみます。

 蔓延しはじめた10月はまだ県内全体蔓延状況を伝える記事は出ていません。まだ、混乱している状況だったのでしょう。11月に入ると部分的ですが地域ごとの患者数が掲載されます。11月4日の記事では、下関市で人口6万3千人中、約2万人がスペイン・インフルエンザにかかり、そのうち4,808名が医師から治療を受け、その他の人は売薬などで療養していると報じられています。この時点で15名が亡くなり、患者の多くは子供や「壮年者」であったようです。

 1918年のスペイン・インフルエンザに関する報道がひと段落するのが12月中旬です。同月15日にはスペイン・インフルエンザが「一般に終息に近づき」と報じられ、その後1か月あまり情報が出なくなります。およそ、年内には終息に向かったのでしょう。その後、散発的にインフルエンザに関する情報は載りますが、流行というまでにはいかなかったようです。例えば1919(大正8)年2月10日に「再甦の感ある 悪性感冒」という見出しで、再度感染者が増えそうな雰囲気であることに警鐘を鳴らしています。結果として感染者は前年末のように増加することはないのですが、インフルエンザに敏感になっていることはよくわかります。

 「第一波」の概要が掲載されるのが、翌年の1919年11月18日です。「昨年の流行」という見出しで報じられたのは、山口県内だけで43万2,303人の患者を出して、4,532人の死者が出たということでした。1920年の国勢調査では、山口県の人口は約102万人でしたので、およそ40%の人が感染し、そのうち1%の人が亡くなってしまったのが「第一波」だったのです。しかし、これでは終わりませんでした。「第二波」がやってきたのです。

1918年11月4日『防長新聞』=県立山口図書館所蔵

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