コラム・エッセイ
第11回 スペイン・インフルエンザ「第二波」到来
大正期 スペイン・インフルエンザと山口県の人々 小林啓祐これまで本欄で紹介してきましたが、1919(大正8)年の1月には、山口県でそれまで猛威を振るっていたスペイン・インフルエンザは、一定の収束をみせていました。しかし、残念ながら第二波がやってくることになります。今回は、第二波が山口県にやってくる1919年冬の様子をみていきたいと思います。
インフルエンザの第二波がやってくるその前兆ともいえる記事が『防長新聞』に掲載されるのが、同年11月11日の「悪性感冒(上海)」という短報です。まだ山口県の話ではなく、上海で猛威を振るっていることが報じられたのです。記事では、「昨年より猛烈」という言葉が用いられ、4日後の15日には大連の状況が報じられています。去年に比べて、『防長新聞』の強い警戒ぶりがうかがえます。実際、今回見つかったスペイン・インフルエンザ関係の記事数は、第1波(1918年冬)が60記事程度であったのに対し、第2波(1919年冬)は80記事を超えます。
海外のインフルエンザに関する報道がなされてから、山口県にその猛威がやってくるのにあまり時間はかかりませんでした。1919年11月29日、山口県に感冒が侵入してきたことが報じられます。最初の罹患地として報じられたのは柳井小学校でした。他の見出しと比べても大きな文字で「感冒来」と書かれた同記事では、柳井小で全児童300名中30名のインフルエンザ患者が出たことを報じています。そのうち9人は明らかに去年のインフルエンザと同様の症状であるとしていました。
早速警察によって郡市民警察署長に通牒が発せられ、「予防心得」として、県内各地に警鐘が鳴らされます。この心得では、「はやりかぜ」がうつるケースとして、かぜを引いた人が咳やくしゃみをして、泡沫が三、四尺(90センチ〜120センチ程度)周囲にまき散らかされ、それを吸うと感染するとしています。そのため、みだりに近づかないようにと注意喚起されています。そして、一回の記事では終わらず、翌日にもこの「予防心得」の続きが掲載されます。そこには、現代の私たちにとっては、風邪予防に当たり前のように使うあるものが登場するのです。
『防長新聞』1919年11月29日=県立山口図書館所蔵
