コラム・エッセイ
第12回 マスクをつけよう!―スペイン・インフルエンザ予防
大正期 スペイン・インフルエンザと山口県の人々 小林啓祐前回、山口県にスペイン・インフルエンザの第二波がやってきたことを紹介しました。そして、その「予防心得」の前半を紹介しましたので、今回は翌日に掲載される後半部をご紹介していきます。
1919(大正8)年11月30日の『防長新聞』には、前日同様大きな文字で「感冒来(二)」が掲載され、「予防心得」の続きが冒頭から掲載されます。前日掲載分では、くしゃみなどから伝染するので、みだりに近づかないことが書かれていましたが、この日の最初に書かれたのは、「たくさん人の集まっているところに立ち入らない」でした。たくさん人の集まるとされた場所は大正時代ということもあって、「芝居、寄席、活動写真」でした。今でいう「密」が発生する場所の代表がこれらの場所だったのでしょう。そして、急用でない場合は電車にも乗らずに歩いたほうがよいと付け加えられています。
そして、三番目に書かれていたのは次のようなことでした。
「人の集まって居る場所、電車、汽車などの内では必ず呼吸保護器(レスピレーター又はガーゼマスクともいふ)を掛け、それでなくば鼻、口を「ハンケチ」手拭などで軽く被ひなさい」
そうです、今回スペイン・インフルエンザ関係記事を探した中で、はじめて「マスク」という言葉が出てきます(回を改めてマスクについては採り上げたいと思います)。第一波の時にはさほど予防策として注目されていなかったように見えるマスクでしたが、第二波では早速登場します。一緒に登場するレスピレーターも形状こそ少し違いますが、口を覆うものです。「呼吸保護器」と書かれているのをみると、まだ一般的に「マスク」という言葉が広まっていなかったことがわかります。
さらに「ハンケチも手拭もあてずに無遠慮に咳する人」からは距離をとるように、とされています。すでにこの時代において、ソーシャルディスタンスについて注意喚起していることは興味深いところです。
この後は、よくうがいをすること、罹患したら安静にすることなどが書かれます。第一波の時、感染が広がる前の記事ではさほどインフルエンザを恐れていない様子だったことを本欄でも紹介しましたが、第二波の時は最大限の注意が払われていたことに大きな変化を見ることができます。ただし、それで蔓延(まんえん)が防げたかというと、そうではなかったようです。この後、インフルエンザは急速に山口県内で蔓延していくのです。
『防長新聞』1919年11月30日=県立山口図書館所蔵
