コラム・エッセイ
No.2 三密中です
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子今日は朝から、来客がたえなかった。昨年の末、我が小店を廃業した。只今“皆の遊び場”に改装中だ。小店をやっていた時より“お客様が多い”と言っても、友人・知人だが。
朝から、コーヒーを出したり、昼食を共にする友人のために、料理の下ごしらえするなどと、バタバタしていた。
明日が原稿締め切りということが、すっかり頭から抜け落ちていた。今、あわててこれを書いている。
昨年末の原稿が、早めに終わり、年初めの原稿が、あまりに間のびしていたからか、いや、ボケ症状が出たのか…自分でもわからないまま、机に向かっている。
明日は、朝から遠出の約束をしているし、他にも済まさねばならない用事もある。
“走れ!おばさん”の前につける文言を臆面もなく替えたので、何か、面白い反応があったら、それに喰らいつこうなどと、甘っちょろいことも考えていたのだ。昨日の今日でそんなことがあろうはずもない。自分の甘さに、反省しきりだ。文言を“美人薄命〟と、したことには、忸怩たる思いもあるが、受けて立とう、と張り切っていたのに…残念。
一般的には、美人薄命とは、美人故に早逝した女性、という解釈だろうと思うが、私はそうは思いたくない。私の考えでは、美人薄命とは“98歳”までと幅広く考える。その根拠は、信念・行動力・賢明さ・美しい心の持ち方、つまり、その人の生き方で、たとえ、百歳を越えたとしても、美人薄命だと思うのだ。
常々、自分は美人だと思い、友人にも強要している。デブで顔もちょっと変で行動も人とは違うらしい。若い頃は、考えも行動も浅はかだったが、歳を重ねるにつれ“人はそれぞれの考え方で生きている〟ことを素直に、受け入れられるようになった。
つまり、「それもそうね」とか「それもありうるわね」と、納得出来るのだ。
「だってえー、私って、美人薄命だから、いつまで生きれるのかわからないのよう」
自らが恥も外聞もなく言うので、たいがいの場合、その場がしらける。だが、中には、苦笑しながら、あいづちを打ってくれる人がいる。私はそれを見逃さない。真の友人だとおもってしまう。
たとえ、裸の王様でもいいのです。
コロナウイルス流行で、周南市も重大事態だ。友人のお孫さんが福祉施設で、看護師をしているので友人も心配の様子だ。手助け出来ない私は、三密を守りながら、コロナの終息を祈るばかりです。
