コラム・エッセイ
No.7 友人Yさんのこと少し
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子 紗羅の花 輝くは風 あるらしき
高木 雨路
東広島に住んでいる友人、Yさんと毎日のように電話をしあっている。別に、これと言った重要な用事があるでも急ぎの話があるでもない。他愛のない会話だが、声を聞かないと、その日が終わらない。
Yさんとの出会いは、商売上の問屋つながりだ。彼女は呉服、当方は婦人服と、和と洋の違いはあるが、妙に気があった。Yさんも私と同様、店じまいをしたが、彼女は別に10数面もあるテニスコート場も営んでいて、多忙な毎日のようだ。
夕暮れになると、人恋しくなる。2人とも寡婦なので、夫のための食事作りは、とうに卒業している。お客でもあれば張り切って料理(レパートリーは決まっているが…)するが、自分のためにはなかなか腰があがらない。手持ち無沙汰でついつい電話に手がのびるのだ。
Yさんは周囲を威圧するほどの立派な体格だが、この上ないほどの美人である。しかも彼女はそれを鼻にかけない、大らか美人なのだ。私もYさんに負けない程の立派な体格だが、顔がいけん。彼女の足元にも及ばない。
Yさんを“ナツツバキの君〟と呼んでいる。彼女のテニスコート場の休憩所の玄関先に、大きなナツツバキの木がある。彼女がそのナツツバキの横に、すっくりと立つ姿は、ナツツバキの精かと見まがうほどだ。立派な体格にもかかわらず、楚々と見えるのは、何故?
ナツツバキは7月頃ツバキによく似た5弁の花びらを、上に向けてひらく。紗羅の花とも言う。インド産の“沙羅双樹〟お釈迦様が入滅された時、捧げられた花だが、その花とよく間違えられる。
お金持ちのYさんから、よく小包が届く。洋服であったり、スカーフであったり、時には果物であったり…貧乏な私は戴くばかりである。先日も、紅ダイダイ?名前を失念したが、夏みかんのような、ないような甘くておいしいミカンをもらった。私はもったいぶって、何人かの友人にオスソワケした。ひとのゴボウで法事をする、とは、この事か?
推察するに、Yさんは、東広島の名士らしい。そのような方に、町の片隅で、こそこそ生きている私が、横柄な態度でよいのか、と時々自問自答している。
酒どころの東広島の西条では、毎年10月に酒祭りがあり、招待を受けるがチャンスがなかった。今年は暇になったが、コロナ禍で無理だろう。物事は、自分の都合のよいようにはいかないなあ。
