コラム・エッセイ
No.10 マスクのこと、ちょっと
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子3月中旬、周南フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会へ行った。3日後、市民劇場主催“吾輩はウツである”を観劇した。どちらの公演も、座席は1席ずつ空けてある。新型コロナウイルス感染予防のためだが、観客は全員マスクを着用していた。コロナ禍以前は、何かの行事開催中、会に対して規制されていても、規則に従わない人は、何人かいたと思う。
コロナは、感染してもいけないが、感染させてもいけない、という意識が、日本国民には徹底していると思われる。
初期コロナ禍の頃の首相だった、安倍氏のされていたマスクは、口と鼻がやっと隠れる程のものだった。コロナ感染にマスク生産が追いつかず、マスク不足となり、自分でマスク作りをはじめた。最初は白いマスクが多かったが、やがて、白色、黒色は当然のこと、花柄やマンガのキャラクター、スポーツ選手の所属チームやクラブのネーム等々、多種多様になった。
今や、町行くひとでマスク無しで歩くのは皆無と言ってもよい。私は大変不器用で、マスクが作れない。優しい友人達からのプレゼントで、小箱は一杯だ。いったい、マスクは何枚あるのか、と、これを書くために数えてみた。ナント、36枚もあり、中には、毛糸で編んだあみ目の粗いマスクもあった。それは未だ着用したことがない。
友人のいっちゃんは視覚障害者だ。48年来の付き合いで、お互い遠慮のない会話である。彼女はマスク不着用だ。
「何故マスクをしないの?」
「マスクすると、更に視野が狭くなるので危ないのよ」
いっちゃんは事もなげに言ったが、私は心の中で謝った。
「この間、毎日、関門海峡に沈む夕日を、写メールで送って下さる、下関の神父様に、100枚マスクを差し上げました」
と、にっこり笑った。
「うーん、憎い奴」
またもや、心の中でいっちゃんの優しさをほめた。悔しいが、いっちゃんのすることなすことは、相手の気持ちに添うであろう。
最近、友人夫妻が、朝風呂に誘って下さる。サンデー毎日のような売れない洋服屋を営んでいた頃には、考えもつかない贅沢さである。
1カ月に4・5回、近くの温泉場廻りをして朝風呂を楽しんでいるうち、病みつきになった。今日、朝風呂からの帰り道、友人夫妻に問うてみた。
「マスク、何枚ぐらいお持ちですか?」
「うーん、正確に数えたことはないが、400枚はあるでしょう」
私の36枚なんて足元にもおよばないなあー。
