コラム・エッセイ
No.11 午後の墓参り
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子75歳の誕生日前に、車の免許証を返納した。ほっとした。車の運転は、あまり好きではなかった。50歳から入部という厳しい規定のバレーボールクラブを有志でたちあげた。車の免許証を持たない3人の部員と、私の車で練習会場へ通った。良い仲間だったから、早くに免許証は返納しようと決めていた。
免許証がなくて不便を感じたのは、季節ごとの墓参りだった。3カ所の墓所はそれぞれ離れていたので、車がないと不便であった。娘に都合を聞いた。
「3月21日がいいわ」
「21日は、大雨だと予報していたわ。20日の午後はどうかしら」
「午後?午後のお参りって聞かないよ」
「雨よりはいいよ。それに、お父さんの誕生日だし、喜ぶわよ」
私の強引さに、娘はしぶしぶ承知した。
いつもの余談話にお付き合い下さい。
夫と私は、見合い1カ月半後に結婚した。それには理由がある。古い話で申し訳ないが。
夫の祖父は、天秤棒1本で商売をはじめ、のちに百貨店へと広げた、いわゆる伝説のひとだ。その百貨店は、昭和20年7月27日未明の徳山大空襲で焼失したが…創設者の祖父は、孫(後の私の夫)の嫁を見て死にたい…と言ったそうで、急拠結納を済ませたその足で、祖父の家へ向かった。
病気で伏せっていた祖父は、正座して待っていた。仲人さんたちは祖父の前で頭を深くたれておられるのに、私ひとり、きょとんとしていた。祖父の鋭い眼光に、私は思わず頭をたれたのを覚えている。
「うん、ええ、おなごじゃ」
祖父の声、いや、言葉を聞いたのは、その時がはじめてで最後である。それからまもなく祖父は身罷(みまか)った。緊張して聞いた言葉を、私は胸内に大切にしまった。その言葉は、嬉しい時、哀しい時、悩み苦しんでいる時に、色々なカタチで私の前に現れる。
冒険結婚の我々夫婦の人生は紆余曲折あった。病弱であった夫は約10年、病魔と闘い、ふたりの子供と、美人薄命の妻を残し、52歳の生涯を閉じた。
墓参りの話をしようとしたのに、余談が長くなってしまった。
最初に私たち姉弟を育ててくれた祖母と父母の墓へ参った。我が家の墓の少し前にひと組の夫婦がおられた。我々に気づく風もなく黙々と墓石を洗い、雑草を抜いておられた。娘と私も同じように墓掃除した。ご夫婦も、我々と同じように、心ならずも午後の墓参りになったのだろう、と勝手に想像した。
墓前で手を合わせていると、空から冷たいものが落ちてきた。
