コラム・エッセイ
No.13 礒永秀雄詩碑建立20年目の日
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子海がわたしを
つつむ時
わたしはそよぐ藻
わたしは泳ぐ魚
そして築かれてゆく
珊瑚の塔
(礒永秀雄 作)
山口市小郡に住む田中章氏から電話がかかった。
「4月1日は礒永先生の詩碑建立20年になります。室積の詩碑に逢いに行きませんか」
田中氏は、詩人礒永秀雄の詩の研究者だ。
「えっ、もう20年になるのですかあ、是非お供したいです」
田中氏とは礒永詩の研究者として知り合った。しかし、田中氏が礒永先生と面識があったかどうかは、私は知らない。
礒永先生は、私が高校の時の担任教師だ。先生の詩を通して、詩を書きはじめた。先生は詩誌「駱駝」の主宰者で、私は購読者だったが、やがて同人になった。駱駝には素晴らしい詩の書き手が沢山いて、その合評会は楽しく面白かったので、何はさておいても、合評会には馳せ参じた。
残念なことに、先生は早逝された。その葬儀にはたくさんの同人が集まった。そして、葬儀後、東京からかけつけられた磯村英樹氏が
「女性同人詩誌を創ったらどうだろう。我々男性同人は客員同人として協力するよ」
と提案された。
その頃、5人の女性が集まって、勉強会をしており、礒永先生も時々、同席して下さっていた。思いがけない提案だったが、5人が役割分担して、女性同人詩誌「らくだ」をたちあげた。それから40年間書き続けたが、ひとり、ふたりと亡くなり、2016年に155号で終刊した。以後、私はだんだん詩から離れてしまった。
田中氏から電話があった日、私は面識のある、先生のご子息、泰明氏に電話をした。泰明氏は、詩碑の近くに古民家を買われ、ゆくゆくは父上の資料館にしたいとおっしゃっていた。
うれしい事に、泰明夫妻もその日程に合わせて帰郷すると言われた。
20年前、詩碑が建ちその除幕式には、田中氏も泰明氏も私も参列していたが、おたがい面識はなかったのだ。
私は偶然の出合いを信じない。合うべきひとには、必ずいつかどこかで逢える。必然だ。
そして、4月1日、田中氏とその友人は詩碑の前で、礒永詩に曲をつけて歌われたのだ。それが、冒頭に書いた詩である。その詩の終章“瞬時の玉をちりばめた崩れない青い門 海のいのちで〟をおごそかに、荘厳に、声高らかに、歌いあげられた。
そこに集うた皆は、風に揺れながら、室積の海をゆっくり渡っていく歌を追い続けた。
