コラム・エッセイ
No.29 梅干し漬に初挑戦
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子私が3歳の時、母は亡くなった。早世した母にかわって、祖父母が私たち姉弟を育ててくれた。子宝に恵まれなかった祖父母は、子育てに苦労をしただろうが、そんなことを知ることもなく、元気に育ち、今日に至っている。
祖母は、沢庵、味噌、梅干漬が上手であった。昔話になったのは、親友のタコから電話をもらったからだ。
「梅干し作りに挑戦してみたらどうかしら」
「…」
ハテ、私に梅干しを漬けることが出来るのだろうか、と一瞬引いてしまった。
下町の商家に嫁して野菜を栽培したこともなく、漬物類に至っては、すべて、友人、知人からの戴きもので暮らしているのだ。
「私に出来るかしら」
「大丈夫、お教え致しましょう」
そう言って、タコはどっさり青梅を持ってきてくれたのです。私は、タコの名指導のもと、はじめて、梅干し作りに挑んだのです。
まず、梅をきれいに洗い、ヘタを取り、塩漬けした。タコが、梅に対して塩を○○グラムと説明するが、秤のない我が家、料理はすべて目分量と、長い人生経験だ。
ホッホ、塩が青梅に教えたのか、梅がエキス(?)を出した。塩水の中に、梅が鎮座しているではないか。
タコの教え通り、7月末の土用の日、梅をビンから出し、3日3晩干した。朝に、昼に夕方に、愛い(うい)してやまない塩梅を、やさしく手に取り、丁寧に表裏と交互にひっくり返し、太陽を浴びさせ、夜露を受けさせた。タコん家から紫蘇が届いた。紫蘇の葉を塩でもみ、灰汁を抜き更に塩でもむと、見事な紅色と香りが出た。その紫蘇をビンに入れた。
只今、陽の当たる縁側のテーブルに置き、毎日、ご機嫌を伺っている。梅は紫蘇の力をいや、エキスを貰って日に日に赤く染まっている。
コロナ禍で、不要不急の外出を控えているので、次第に赤くなる梅に癒されている。
今、すっかり梅干しになっている、梅干しに話しかけている。
「美味しい梅干しになってね。お世話になった友人には差しあげ、梅干しを戴いてきたひとには〝どうです〟と自慢したいからね」
私の言葉がわかるのか、梅干しは日に日に赤く、乙女の頬の色のように輝きはじめた。
さて、いつ頃が食べ刻かは、タコに聞かなければわからないが。
大切な友に、大切な梅干し、3粒ずつ配ろう、私が、3粒の梅干しを差し出したら、大切な友人…と思って下さい。
