コラム・エッセイ
No.18 こんな暮らしで…いいのか
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子思考力が衰えた。いや、まわりくどい言い方はやめよう。認知症の初期症状ではないだろうか。今の私が一番恐れ悩んでいることだ。誰彼かまわずそのことを訴えてしまう。
「そう、私もよ。だって、私の1日は探し物からはじまるのよ」
「昨日の夕ご飯は何を食べたのか、すぐには思い出せないのに、若い頃のことは、まるで昨日のことのように鮮明に覚えてるのよ」
「エート、この花の名前、なんて言ったかなあーここまで出ているのになあー」
友人知人も日常生活の物忘れを嘆く。
「安心したわ、私だけじゃないのねえ」
「そうよ、そうです」
でも、これって、本当に安心しても良いのだろうか。私は安易に納得したくない。清く正しく、日常生活を送りたい。
確認はしていないが、多くの新聞には、主婦専用の投稿欄がある。以前は、この投稿欄を読まなかった。少し批判的だったのだ。主婦読者が他人の投稿文を読んで、たとえば、94歳の方の投稿文に感動し、私もそのように生きたい、などと締めくくってあったりすると、ナルホド素晴らしい生き方とは思うが、不屈者の私は、全てがうまく生きられるとは限らんと、つぶやいてしまう。
この欄に雑文を書きはじめたのは、40年前頃だ。有楽町の片隅で、大根1本の値段に、一喜一憂しながら(私の常套句だが)斜に構え、世の中を憂えてやろう、と思っていたのだが…。
だが、今の自分の行動からすると、友人、知人が立派にみえ、哀しくなる。そのことを娘に訴えると
「ボケてなんかいないよ。昔から、変なひとだったじゃないの」
だって…。反対に目にあまることがあり娘に意見すると(最近は少なくなったが…)
「その考え方、少し変じゃない?ボケが始まったのかなあー」
と首をかしげる娘の対応に、最近は、
「そうかも知れん」
と素直に納得する。いや、引いてしまう。
コロナ禍で、政府の言うことを正しく守り、不要不急の外出を控えている。
白内障手術のおかげで、世の中が明るくなった。家の中の汚れが目につき、雑布を片時も離さず、せっせ、せっせと掃除をしているにもかかわらず、振り返れば汚れている。加えて、整理・整頓が行き届いていない。考えるに私は、元来、無精者…だったのだと、今、気づいたあー。
娘が月に1度、スーパーマーケットに連れて行ってくれ、足らない日常品を購入する。
老い先短い日常が果たして、これでいいのか。
