コラム・エッセイ
No.5 予告文であります
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子念願の“皆の遊び場”が完成した。コーヒーを飲んだり、勉強会も出来るよう工夫した。が、コロナ禍のため全てが、うまく運ぶわけではなく、手持ち無沙汰だ。
そんな折、料金不足の郵便小包が届いた。10円不足のシールが張ってあった。友人が「本来、そんなの配達されないよ」と首をかしげた。だが、我が家には届いた。配達人が気を効かせて下さったのだろう。とりあえず郵便局へ走った。不足分の10円を払うと「こちらで受け取り手続きをしましょう」と、親切に応対して下さった。
老いた現在、遠くの銀行より、近くの郵便局と、各種の銀行振り込みを変更中だ。数字に弱く、おおやけの振り込みも不得手になった。わからない時は聞くに限る、と郵便局へ相談しにゆく。いや、教えてもらいに行く。
送料不足の小包は、高校時代の恩師であり、生涯尊敬している詩人、礒永秀雄先生のご子息からだった。
高なる胸を押さえて封を切った。小包の中には、先生の若い日の拡大写真と、先生が住んでおられた、光市室積湾とその周辺の写真と一冊の本が同封してあった。
うれしい私は、手紙と写真を見ただけで、すぐに礼状を書いた。実は、4月1日に、礒永秀雄を研究している友人たちと、室積湾を背景に建つ、礒永秀雄詩碑を見に行くことになっていた。
その報告と礼状を出したあと、同封の『詩人たち―ユリイカ抄』(伊達得夫著・エディター叢書)を、パラパラとめくった。礼状の最後に、ゆっくり読ませて戴きます、と書き添えた。
遊び場が完成したら白内障の手術をする、と決めていた。主治医に早くから手術をすすめられていたが「まだ、新聞の字が読めます」と、手術を引延ばしていた。
小包が届いた日の夜、退屈しのぎに本を開いた。最初のページから目が離せない。字が小さいので、ハズキルーペなる拡大鏡(?)で一字一句、見逃すまいと懸命に読んでいるところだ。
礒永先生と伊達得夫は、朝鮮の京城中学時代の同級生だったそうだ。ご子息の手紙にはその本に、先生のエピソードが沢山掲載されている、と書いてあった。私はあわてて葉書を出した。
「いくつかのエピソードが抜き書きしてあったのに、写真に気をとられ、礼状が素っ気なく、反省中です」と。
只今、拡大鏡を片手に、本と格闘中だ。
昭和初期の作家が次々と出てくる。
次号は先生のエピソードを書きます。そのことを予告する次第であります。
