2026年05月29日(金)

コラム・エッセイ

No.6 伊達得夫著『詩人たち―ユリイカ抄―』より

美人薄命 走れ!おばさん 中村光子

 前号で、尊敬する詩人礒永秀雄(故人)と伊達得夫のことを書く、と言った。礒永先生のご子息から送られた、伊達得夫の本を一気に読んだ。興奮と張り切りすぎで、ここで筆が止まり、後が続かない。

 両氏は、朝鮮の京城中学時代の同級生だ。伊達得夫の本に「スヰトピイーと駱駝」と題した章がある。

 詳しい経緯は別として、ある日、伊達の所へ礒永から「君は京城中学にいた伊達得夫ではないか?」という書き出しではじまるぶ厚い手紙が届いた。伊達がその名前を思い出したのは、スヰートピイーのような頬を紅潮させながら「キオツケー」と、号令をかけた少年が、礒永秀雄だったのだ。そうだ。

 礒永が小郡で高校教師をしていた頃、山口で『中原中也の手紙』という本を取り、定価を見るために奥付を開いて、発行者が伊達得夫とあり、こんな偶然があるのかと、その本を買った。

 そのため、礒永は帰りの汽車賃まではたいたので、暗い夜道を小郡まで歩いて帰った。と書いている。

 礒永先生は、その翌年に、同人詩誌『駱駝』を発行された。以来、伊達氏に駱駝を送り続けられた。“同人詩誌で、途切れることなく発行している詩人を知らない〟と書いている。

 私が『駱駝』を知ったのは高校時代だ。3年の時はクラス担任でもあった。

 礒永先生のご子息の泰明氏から来た手紙に“父は、高峰秀子のプロマイドを持っていた。それは「秀」という字が同じだからと考える”との添え書きに思わず笑ってしまった。

 先生は、東大在学中に、東宝の助監督に内定していたそうだ。“戦争がなかったら、恋愛映画を撮っていたかも…。高峰秀子が松竹から東宝へ移籍したのが大きく影響したかも〟と付け加えてあった。

 「父は、たまに荒々しい詩を書いていたことがありますが、私は瀬戸内のような澄み切った穏やかな詩の方が断然好きですね」と、したためてあった。

 先生の詩碑が、室積湾を背景に建立した時、天志・泰明兄弟が帰郷され、ふたりはそれぞれに感謝の辞をのべられた。泰明氏は、話の途中、振り返って海をみつめられた。私はそれを鮮明に覚えている。

 何年か前、泰明氏は室積に古民家を買われた。『駱駝』を少し持っている私は、そこへ詩誌を収めたいと思っている。

 4月1日、礒永秀雄を研究している友人と詩碑に会いに行く。それを泰明氏に話したら、コロナ禍だが、できればその日に合わせて帰郷したいと言われた。私たちも是非お会いして先生との思い出話がしたい。

LINEで送る
一覧に戻る
今日の紙面
東ソー

東ソーが生み出す多種多様な製品は、社会インフラや耐久消費財など人々の生活に役立つさまざまな最終製品に使われています。総合化学メーカーだからこそできる、化学の革新を通して持続可能な社会に貢献していきます。

サマンサジャパン

来院者の方へもっと目配り、気配りをしたい。物品の補充や搬送に時間を取られる・・・
サマンサジャパンでは医療従事者の方がより医療に専念できるよう、コンシェルジュ、受付、看護助手、清掃、設備など様々な業務を行っています。

株式会社トクヤマ

トクヤマは、電子材料・ライフサイエンス・環境事業・化成品・セメントの各分野で、もっと幸せな未来をつくる価値創造型企業です。

山田石油株式会社

ソロや友達と過ごす「おとなじかん」から、親子三世代で過ごす「かぞくじかん」も楽しめる日帰りレジャー施設「くだまつ健康パーク」。屋内で遊べる施設や岩盤浴、サウナも充実!