コラム・エッセイ
No.25 「遊び場」は出来たが…
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子婦人服店を廃業して半年過ぎた。習慣とは怖いもので、8時30分になると、毎朝、表のシャッターを上げる。
前ぶれもなく、店を閉じた感があるから、友人やお客様が心配をして下さる。
「私の服は、どこで求めればよいの?」
我が店を、ひいきにしていただいた方の言葉に、胸が詰まる。
「タンスの中は、あなたんちの服で一杯よ。商売上手だから、ついつい手が出るのよ」
閑古鳥が鳴く店の主としては返答のしようもない。私の外見からそう見えるのだろう。計算、いや、数字に弱い私は、自分のフィーリングでお客様に応対してきた、ように思う。
夫が健在(S60年没)の頃は、帳簿は夫、販売は私、と役目が決まっていた。夫の死後は経理に強い友人に頼って、いや、お願いした。税金の申告相談に行く時は、相談する友人の横に神妙に座しているだけの私であった。
赤字続きの店を継ぐ者もいない。しかし、祖母や夫が苦労してやってきた店を、嫁の私がつぶしたら、申しわけないと、悩んでいた。
忘れもしない1年前、税務相談に行った時、記帳説明のあと、若い相談員の方がおっしゃった。
「ご高齢だし、これまで、ご自分で積み立てしている共済金をお受けとりになったらいかがでしょう」
私には“寝耳に水”であった。貧乏はしているが、共済金は老後の生活費と考えていた。自分が高齢者であるという考えは毛頭なかった。
通信販売、大型スーパーの進出で、有楽町の私のスーパーマーケット、野菜雑貨のS商店や、デパートまで撤退するご時世だ。このすさまじく変化する世の中について行けない、と内心、思ってはいたが、自分自身の身の振り方をどうすればよいか、いやもっと言えば、のほほんと暮らしている自分が、自分にはわかっていないことに…気づいた。
根は呑気者だが、あわてんぼうの私、出す決断は早い。
「よし、廃業しよう」
息子にも嫁にも相談しなかった…ように思う。
床を張り替え、陳列棚を改良して、広いテーブルにしたりして、私の「遊び場」が出来た。
友人たちと、勉強会と称し、源氏物語を読んだり、俳句の会を開いたり、時には持ち寄りパーティ…と、想像は膨らみたいだけ膨らんでいるのだが、コロナ騒ぎで、すべて水泡に帰した。
前途多難?いや、いや、晴れの日はきっと来るだろう。私は、未来を、いや明日を信じている。
