コラム・エッセイ
No.17 茗荷の思い出
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子広島県三次市にある奥田元宋・小由女美術館で、田中一村展があった。過去形で書かねばならぬのが悔しい。一村の絵が好きで、いつかチャンスがあればと思っていた。
コロナ禍で行動が規制され、簡単に身動き出来ない。今回の機会を逸すると、いつ見ることが出来るか、私には見当がつかない。
5月5日が展覧会の最終日だ。運転上手な友人に相談したら、いとも簡単に「いいネエ行こう」と言ってくれた。大喜びしたのだが、冷静になって考えると不要不急の外出は控えるよう、3密は避けるよう、と毎日報道している。
先日、暇にまかせて、47都道府県のコロナ情報を、少ない順に書き出してみた。山口県は14番目であった。
毎日のニュースは、コロナ情報で始まる。小心者の私は、それを承知で行動する決心はつかない。また、いつか、見ることの出来るチャンスはあるだろうと、涙をのんだ。
外出規制中の今、私は、手入れがされずに荒れ放題になっている、“見てはならぬ”北庭の草取りに勤しんでいる。と言っても、午前と午後のちょっとした暇に、庭へ降り小さな紙袋へ、草や枯れ葉を押し込んでいる。もう2カ月は過ぎた。少しずつ土が見えはじめた。そのうち、友人たちを呼んで、ガーデンパーティが出来る…かも。
塀の下に茗荷が芽を出している。まだ茗荷の子は出ていない。茗荷を見ると、父のことを思い出す。私の祖父母は子供に恵まれず、親類から養女をもらいそこへ父が養子にきて私と弟が生まれた。病弱だった母は私が3歳弟が1歳の時亡くなり以後、私と弟は祖父母に育てられた。
やがて、父は再婚し新しい家庭を持ち、異母姉弟が生まれた。私と弟は、祖母が亡くなるまで、父とは別々に暮らした。父は茗荷の頃の季節と年の暮れに私たちの所へ来た。今、思えば2人の養育費を持参していたのだ。
私と弟は、父親とは恐いばかりで、ろくに話もしなかったと思う。父が茗荷が好きだったことだけは知っていた。家の横を流れている溝に生えている茗荷を、懸命に取ったのを覚えている。それが、私たち姉弟に出来る、精一杯の気持ち表現であった。
今日も、小袋を持って庭に出た。茗荷の根元を探るが、まだ、茗荷の子は姿を見せない。父に甘えることの術を知らない、私と弟の行動を、父はどんな気持ちだったか、生前の父に聞いてみたかった。
雨が止んだ。草は容易に抜けるだろう。私は腕まくりして、新しく生えた草々を睨(にら)んだ。
