2026年07月23日(木)

コラム・エッセイ

No.37 遠い昔の…話(1)

美人薄命 走れ!おばさん 中村光子

 毎朝、近所に住むKさんとコーヒータイムを楽しんでいる。かれこれ、2年にはなるだろう。彼女の口癖は、「おたがい、130歳まで長生きしようよ」だ。130歳は無理だとしても90歳ぐらいまでは、自分の足で歩きたい。

 この雑文のサブタイトルは“美人薄命”だ。徳を積み、美しく生きれば、大丈夫と言う意味合いを含む。

 世間では、美人なるが故、若くして世を去る…と、都合のよい解釈をするが“生き方”が美しければ、例え、百歳まで生きても“美人薄命”だ。すでに、晩期高齢者の仲間入りの私だが、持論は覆さない。

 だが…しかし…それでは、少し寂しい。愚痴話に終始している昨今、話題を変える法はなかろうかと考えた。能天気な私に、良い案が浮ぶはずもないが、唯一、3歳から18歳まで、血つながりのない祖父母に育てられた事は“宝物”として、胸内に大切にしまってある。

 その事なら、今なら書ける、いや書きたい。長い間、宝物にしていたため、想いを美化したり、思い違いがあるかも知れないが…。 

 祖父母は、明治時代には珍しい恋愛結婚であった。残念なことに、子宝に恵まれなかった。親類筋から、やがて私の母となるひとを養女に、父となるひとが養子に入った。

 そして、私と弟が生まれた。父の仕事の関係で、父母は広島県に住んでいた。母は生まれつき病弱で、ふたりの子供を養育するには無理があった。

 祖父母は、3歳の私をあずかることにした。祖父は持参のへこ帯で私を背負い、富田の山裾へ連れ帰った。祖父の背中の温もりを、私は覚えている。

 1歳の弟は、遠い山口に住む、父の姉の家に引き取られ、ふたりは別々に育った。

 やがて、母の病は重くなり、祖父母の家に帰って養生していたが、その後、間もなく亡くなった。通夜の日、母の枕元の線香の火が怖く、遠い部屋で祖母の手枕で眠った。

 葬儀の日、弔問客の間をすり抜け戯れる私に、何度も声がかかった。

 「お母ちゃん、死ぬ時、何て言っちゃった」

 「どねえな、エエお母ちゃんが来ても、いかんでね、言うたよ」

 それを聞いた大人が袖口で涙を拭うのを見ながら「ワタシノ言ウコトデ、ミンナ、ナク」と、幼な心に思った。

LINEで送る
一覧に戻る
今日の紙面
ピアレックス

遺品整理でお困りではないですか?県内出張見積は無料!不動産売却や空き家じまい(解体)もお気軽にお問い合わせください。

スバル合同会計 周南事務所

相続時や建物の購入売却時の相続税・資産税のご相談。
大切に育てた事業の譲渡や事業の拡大にむけて、複数の専門業者との提携で、お客さまの求める結果を一緒に目指します。

東ソー

東ソーが生み出す多種多様な製品は、社会インフラや耐久消費財など人々の生活に役立つさまざまな最終製品に使われています。総合化学メーカーだからこそできる、化学の革新を通して持続可能な社会に貢献していきます。

サマンサジャパン

来院者の方へもっと目配り、気配りをしたい。物品の補充や搬送に時間を取られる・・・
サマンサジャパンでは医療従事者の方がより医療に専念できるよう、コンシェルジュ、受付、看護助手、清掃、設備など様々な業務を行っています。