コラム・エッセイ
No.38 遠い昔の…話(2)
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子病の重い母は暗い納戸の間に伏せっていた。1歳の弟は、まだ歩くより這う方が早かった。病床の母の廻りを這いまわる。私はそんな弟を面白がって、追いかけまわった。
「そんなことをしちゃあ、いけんよ」
消え入るような声で母が言う。丁度、山口から母の見舞いに来ていた叔母が、みかねて言った。
「下の方を少しあずかろうか」
「そう願えれば…」
「顔が見たくなっても、すぐ連れて来れなくてもいいの?」
「姉さんにあずかって貰えれば安心です」
叔母はその日の内に弟を山口へ連れ帰った。叔母は夫を早く亡くし息子と2人暮らしだ。息子、つまり、従兄弟はその時中学生だった。のちの従兄弟の話だ。
「朝配達の牛乳瓶の音がすると、彼は素早く取りに行き、その場で飲むんだ。ひとりっ子の僕は競争というのを知らずに育ったので」
それから、まもなく母は亡くなった。祖父母と私の3人の暮らしだったが、祖父がいつ頃亡くなったか記憶にない。
弟は4歳の時、祖母の元へ帰ってきた。今の新南陽高校を過ぎたあたりから、高台の我が家が見えた。そこで弟は威張って言った。
「おばさん、もう、ここでいいよ。ひとりで帰れるから」
弟のシャイな所はこの頃からあったのか。“ひとりで、山口から帰った”と、言いたかったのであろう。
私は小学3年、弟は1年生になった。祖母は欠かさず参観日に来てくれた。子供のなかった祖母には初体験だ。祖母の若かった時代、参観日があったかなあ。
弟の担任は「おばあちゃん、どうぞ」と、いつも椅子を用意されたようだ。自分だけが特別なのが嬉しかったようだ。事あるごとによく聞かされた話だ。
やがて、高校生になった弟が言ったもんだ。
「中学卒で働けばよかった。僕の成績なら東洋ソーダに入れ、職工になれただろう。そしたら、おばあちゃんに楽をさせてあげられたのになあー」
それはさておき、私と弟は、祖母の無償の愛情を一身に受け、楽しくおおらかに育った。
それでも私は、夏の冬の休みには必ず、父と継母に会いに行った。弟はいくら誘っても行かなかった。私は単純に、弟は父や継母や異母兄弟にあいたくないのだろうか、と考えた。
それから、ずーと後の話だ。
「どうして、父の所へ行かんかったの?」
「だって、おばあちゃんひとりにしたら、寂しくて可愛相だろ」
私は、弟の優しさに触れ、言葉がなかった。
