コラム・エッセイ
No.39 遠い昔の…話(3)
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子確か小学3年生の頃だ。我が家の近くで野菜を作っているクマさんという青年がいた。クマさんは町で八百屋を営んでいて、田舎で栽培した新鮮な野菜を店に並べていた。
ある日、クマさんが
「宮島に連れていっちゃげよう」と言った。祖母も私たち姉弟も大喜びで、隣りに住むカンちゃんも誘ってくれた。
まだ、終戦の混乱が続いている頃で、日常生活も質素であった。祖母の弟が、アメリカのサンフランシスコで薬局をしていて、時々、我が家へ小包が届いた。その小包の衣服類の間に、チョコレートやガムが入っていて、大喜びしたものだ。
そんなある日、アメリカから届いた小包を開けてびっくり。私にはピンクの3段重ねのワンピースで、胸には大きなレースの飾りだ。弟には、茶色のサロペットパンツと、横じま模様のシャツとハンチング帽子だ。日本の、しかも田舎ではみたこともない洋服だ。
祖母が言った。
「宮島へ行くのに、丁度エエ服じゃのう」考えても見て欲しい。田舎っぺの女の子、髪はおかっぱ、ひび割れたリンゴの頬っぺ…。弟の気持ちまで知るよしもなく、祖母の言葉に従った。
富田駅から汽車に乗った。悩んだ洋服のことなど忘れ、弟とカンちゃんは、汽車の窓に顔をぴったりつけて叫ぶのだ。
「ほら、見てみいー電信柱が飛んで行くぞ」
息つく間もない程、電信柱が次々と飛ぶように流れるのを、目を丸くして飽かず眺めた。
やがて、宮島に到着したが、海の中の赤い鳥居も社殿も全く覚えていない。
嬉しかったのは、クマさんが買ってくれた5円のアイスカクテルである。当時、私の住む田舎にも、夏になると自転車で、アイスキャンデを売りに来た。アイスキャンデー、と遠くから売声が聞こえると、祖母に貰った3円を堅く握りしめて駆け出した。赤・黄・青などのアイスキャンデは、割箸のような細い木に張りついていた。子供たちは、ハモニカを吹く要領で、口を横に何度も、すべらすようにして食べた。
ところが、クマさんが宮島で買ってくれたのは、5円のアイスカクテルだった。祖母から「カクテルは腹が痛とうなるから」と買って貰ったことがない。
私と弟は祖母の顔色をうかがいながら「エエイ、腹が痛とうなってもいいや」と覚悟してほおばったら、なんとも美味しい。腹も痛くならなかった。
思わず、祖母の顔色をうかがったら、祖母も目を細めて、カクテルをほおばって…いた。
