2026年10月24日(土)

コラム・エッセイ

No.40 遠い昔の…話(4)

美人薄命 走れ!おばさん 中村光子

 終戦後、7年過ぎても暮らしは楽になったとは言えなかったが、子供の私たちは、ひもじい思いをした、とは考えなかった。70年も前のことだから例え、覚えていたとしても、よほどの悲しみや苦労でないかぎり、記憶にないのがあたりまえであろう。

 その頃、すでにラジオは普及していたろうが、我が家にはなかった。だだっ広い家でありながら、使用する部屋は限られていた。炬燵のある6畳間の暗い電燈の下で、祖母・弟・私の3人は身を寄せ合って暮らしたが、他の家の暮らしを知らないので、楽しい我が家だ。

 夕食が済むと、その日、学校で習った事や面白い出来事を身振り手振りで話す。祖母が涙を流して喜ぶので、嬉しい2人は、更に悪乗りして、喜ばせる方法を考える。歌ったり踊ったり、芝居じみたことまでする。

 それが役立ったのか、小学5年生の学芸会で修禅寺物語の主役に選ばれた。修禅寺物語は岡本綺堂の戯曲である。伊豆の面作りである夜叉王の作った源頼家のお面には、死相が現れていた。娘の桂は、その面をつけて頼家になって戦う、という筋書だ。

 私は、修禅寺物語とは聞くのも初めて、その深い内容を知らないまま、演劇好きな教師の言われるまま、懸命に練習に打ち込んだ。

 練習の総仕上げに、教師の尊敬する演出家と言うのか、防府在住のその方のお住まいまで指導を受けに行った。

 祖母は、私が主役になったのが、よほど嬉しかったのか、紫色の下地に沢山の花をあしらった着物を新調してくれた。出演者は夕方、遅くまで練習に明け暮れた。

 劇の出だしは、花道から、桂が血のついた長い柄の刃を杖がわりにして、よろよろと出てくるところから始まるのである。

 練習後、その血刃を教室の後の隅に立てかけて置いていたのを、少しやんちゃな級友が振り廻して折った。彼は教師から、こっぴどく叱られた。私は自分が叱られた気がして、しくしく泣いた。

 さて、いよいよ本番。娘役の私は、祖母の新調してくれた着物の上に、頼家の衣装をはおり、血刃に寄りかかり花道から出た。

 万雷の拍手…があったかどうか忘れたが、とにかく、とにかく無事に演じ終え、桂は最後に言うのだ。

 「お父上は、日本一」

 声をしぼるように出し、講堂をぐるりと見渡した。

 ところが祖母は大変機嫌が悪かった。

 「せっかく着物を作ったのに、男の着物が邪魔で、ちっとも着物が、見えんかったのう」

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