コラム・エッセイ
No.42 遠い昔の…話(6)
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子私は高校生になった。高校の入学式を待たず中学校同窓生の先輩に連れられて、高校のバスケットの練習に行った。中学時代の練習と違い、ハードだったが楽しかった。
高校入学後、早朝、富田駅まで自宅から30分歩き、汽車(通学列車は煙をもくもくはく石炭車)に乗る。5、6分で徳山駅到着。それから学校まで20分。
授業が終わると部室までダッシュ。バスケット練習だ。慣れない通学と猛練習の日々に帰宅して食事・風呂後は、バタン・キュウと寝るという繰り返しに、成績は下がるしで、高校とは何をする所かと、本気に悩んだ。
私は勇気を出し、憧れの3年生男子キャプテンに問うてみた。
「何のために、学校へ行くのでしょうか」
「決まっているじゃないか、バスケットのためだよ」
憧れの先輩の言葉に納得して、以後、バスケットにうつつをぬかしたのである。その年の3年バスケット部は男女とも強かった。女子は西日本大会に出場し、私もちょこっと出してもらって、とても嬉しかった。
だが、3年生が卒業すると、男女共、ひ弱なチームになった。地区大会で、準優勝が1番よい成績だったと思う。それでも懸命に練習をした。
試験週間はクラブ活動禁止で勉学に励む規則になっていた。
その頃、両親は徳山の学校近くに住んでいた。要領のよい私は「試験中だけ泊まらせて」と頼んだ。泥縄式勉強だが、赤点を取りたくなかった。両親の家に泊まって2日目。祖母が得意なお寿司を大きな重箱に詰めて来た。
「孫がお世話かけます。どうぞよろしくお願いします」
と、深々と頭を下げた。私は驚いて祖母の顔をみたら、涙をいっぱいためていた。
私は、自分の都合で何ということをしたのだろうか、と自分に腹を立てながら、祖母に対して、本当に申しわけないと思った。
「おばあちゃん、ごめんなさい。一緒に帰ります」
私が泣きながら、勉強道具をカバンに詰め込むのを、母は黙って見ていた。祖母に心配をかけた、という想いよりも、祖母は、私のことをこんなにも思ってくれているのか、と自分の軽率な行動を恥じながら、胸からこみあげるものを抑えた。
この歳になっても、時々、弟と口論する。
「ネエ、おばあちゃんは、私とあなた、どっちが可愛かったんだろうね」「そりゃ、オレだよ」「いいえ、わたしに決まってる」
言い合いは晩期高齢者になってもお互い譲らない。
