2026年05月29日(金)

コラム・エッセイ

No.43 遠い昔の…話(7)終章

美人薄命 走れ!おばさん 中村光子

 その日、弟は町へ映画を見に行っていた。私は高校へバスケットの練習に行っていた。だから、多分、日曜日であったのだろう。

 高校3年の春の大会等が終わると、3年生は引退し、チームは1・2年生の部員で構成される。

 少し偉そうに言わせて貰えば、その日、私は先輩風を吹かし、新チームの指導(?)に行っていた。

 練習を終え、富田駅に降りたら、母が立っていた。

 「お母さん、どうして、ここに居るの?」

 「あのね、おばあちゃんが亡くなったの。早く帰って、私は徳山の家へ喪服を取りに」

 「おばあちゃんが死んだ?何故、どうして」

 信じられない母の言葉に、一目散に走り出していた。まさに、青天の霹靂…だ。

 「おばあちゃんが死んだなんて…」

 走りながら泣いた。涙は袖口でぬぐってもぬぐっても止まらない。…朝出る時は、おばあちゃん元気…だったのにィ…。

 2、3日前から、父母や親戚のひとが出入りしていたが、祖母の容態がそんなにも悪いとは、思いもしなかった。高校生で図体は大きいが、子供であったのだろう。

 こうして書きながらも、祖母が横たわっていた姿も思い出せない。泣きながら、祖母に覆いかぶさっていたろう。

 気がついたら、背戸の枇杷の木の下で、弟と一緒に泣いていた。弟が映画を見て、いつ帰ったのかも知らない。

 泣きやまない私たちの所へ、父が来た。

 「いつまでも、泣いているんじゃない」

 この時の、父の言葉は鮮明に残っている。そして、父の顔を、きっと睨んだ…ことも。…泣くな、なんて言わないでよ。おばあちゃんが死んだんだよ。死ぬなんて、思ったことないんだから…。

 嗚咽しながら…しゃっくりも止まらなかった…いつまでもいつまでも…。

 関西に住む弟一家が2年ぶりに、墓参りに帰ってきた。コロナ禍で身動きがとれず、気がかりであったのであろう。

 不便だから関西に移したら、と言ったが、祖母と暮らした地に建てた。田舎から一歩も外へ出たことのない祖母を思ってのことだ。

 祖母には、15年間育ててもらった。私も弟も、それはそれは楽しい日々であった。

 子供を授からなかった祖母。しかも血の繋がりもない2人を育てるのは大変だったろうが、2人はそんな事考えたこともなかった。

 この世の中で、いちばん大好きなおばあちゃんは、黙ってひとり旅立ったのでした。

LINEで送る
一覧に戻る
今日の紙面
山口コーウン株式会社

「安全で 安心して 長く勤められる会社」をスローガンに、東ソー株式会社等の化学製品を安全かつ確実にお届けしています。安全輸送の実績でゴールドGマーク認定を受け、従業員が安心して働ける環境と「15の福利厚生」で従業員の人生に寄り添っています。

ピアレックス

遺品整理でお困りではないですか?県内出張見積は無料!不動産売却や空き家じまい(解体)もお気軽にお問い合わせください。

サマンサジャパン

来院者の方へもっと目配り、気配りをしたい。物品の補充や搬送に時間を取られる・・・
サマンサジャパンでは医療従事者の方がより医療に専念できるよう、コンシェルジュ、受付、看護助手、清掃、設備など様々な業務を行っています。

株式会社トクヤマ

トクヤマは、電子材料・ライフサイエンス・環境事業・化成品・セメントの各分野で、もっと幸せな未来をつくる価値創造型企業です。