コラム・エッセイ
No.45 私の散歩道
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子週に3回、1時間ばかり散歩をしている。コースも3つに決めている。ひとつ、西は富田の川崎川あたりで折り返す。ふたつ、東川公園をさか登り、国道2号線に出る。踵を返し、気ままに町筋を右折したり左折したりと、散歩を楽しむ。
「おや、この花、エート、何と言う名前?」
若い頃はひそかに花博士を自認していた。全てとは言えないが、花の名前はすぐ答えられていたのに、最近、とみに、見覚えどころか、毎日見ていても、すぐには名前が出て来ない。
もうひとつのコースは、新聞に入っている広告で折った箱を、友人I女史宅に届けるコースだ。I女史とは長い付き合いだ。彼女は只今、自分の母上と嫁ぎ先の義母上のお世話に専念中である。
彼女は先日、我が家の近くにオープンした中華食品材料店に行ったので、と立ち寄ってくれた。看病に明け暮れの毎日でも、町の動きにも敏感だ。私も食指は動くのだが、まだのぞいたことはない。
「今ね、中華料理に凝っているのよ」
と、笑った。2人の母上のために、何か美しく食が進むものをと、工夫されているのだろう。頭が下がる。
私はせっせと、ゴミ箱を折って届けているのだが、いつも玄関は鍵がかかっている。母上が、黙って散歩でもされると危険だ、と思ってのことだろう。車庫の隅に折った箱をそっと置いて帰る。
昔、下手な詩を書いていた頃のことだ。当時は県内にも詩を書くひとも多く、詩の結社も沢山あったので、県詩人大会は、各地、持ち回りで開催していた。
徳山が引き受けたある年、I女史に会場に飾る生花を頼んだ。彼女は独身時代、有名なお花の家元で修業し、花に対して造詣が深い。
予算を度外視して、彼女はご自分の大切な花器いっぱいに華やかに活け入れてくれた。その見事さに、私は内心、鼻高々であったのだ…が、悲劇が起きてしまった。
仲間が、花器の下を這っていた電気コードに足がからまったのだ。花器は、音をたてて崩れ割れてしまった。会場は、一瞬にして、静まって…しまった。
「カタチあるものはいつか、割れますよ」
とっさの彼女の言葉に、私は何も答えることが出来なかった。平謝りしたことは言うまでもないことだが…。大事な彼女の花器なのに…と、どうしてよいか、わからないままに、月日は過ぎて、今日に至っているのです。
今日は、新聞広告の多い日だった。数えてみたら、17枚もあった。只今、せっせと折っています。
