コラム・エッセイ
No.50 また・逢う日まで…
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子朝の片付けが一段落すると、コーヒータイムにしている。その頃に、タイミングよくコーヒーの友・Y子さんがやってくる。
Y子さん夫妻は、手広く紳士服店をされていたが、夫君が病気になられて店を閉じられた。Y子さんの懸命な介護のかいもなく亡くなられた。
これは、Y子さんが自分時間が持てるようになり、我が家へ来られるようになってから聞いた話だ。
話が少しばかり飛ぶが、まあ、聞いて下さい。
1964年、日本でオリンピックが開催された時、女子バレーボールは優勝した。優勝戦の対戦相手は忘れたが、最後の得点は日本があっけなく取ったのは鮮明に覚えている。
以来、バレーボールブームが起きた。最初の頃は、稲刈りの済んだ田んぼでネット替りに縄を張ってバレーボールを楽しんだ。やがて、全国大会開催をするまでになった。ユニホームも、オリンピック選手と見まがうほど派手であった。
私は、中学、高校とバスケットボールにうつつを抜かしていた。結婚して、子どもに手がかからなくなったころ、地区のバレーボール部から声がかかった。選手が足らないのでと、立派な体格を買われた。
しばらくして、Y子さんもチーム入りした。Y子さんのポジションはセッター、私はアタッカーだった。上手とは言えないY子さんのトスを、これ又、下手な私が敵陣へ打ち込むのだが…ボールはポトリと相手コートに落ちるのであった…。そのうち、彼女はいつの間にかバレーをやめていた…のだ。
そして何十年もたったある日、彼女がわが家へ現れた。最初、誰だかわからなかったが、話しているうちにY子さんを思い出した。
以来、彼女は我が家の“遊び場〟の常連さんになった。彼女は沢山の楽器を持っているようだ。多くの楽器を弾き、鳴らし、吹き、叩く…とおっしゃる。無芸の私は彼女の話を聞き入るばかりだ。
ある日、彼女は私の手を握り「この世の中で一番の友達よ」と言った。予期せぬ言葉に驚いたのだが…。
1月の中旬頃から、彼女が来なくなった。心配していたら、息子さんが、体調崩して入院した、と報告にみえた。と、まもなく、郷里の九州へ帰られることになった…ようだ。
先日、息子さんたちが、別れの挨拶にと連れて来られた。思いがけない成り行きに言葉もなく抱き合った。
朝のコーヒー友達がいなくなった。九州の方向をむき、コーヒーマグカップに目を落とす毎日…だ。
