コラム・エッセイ
No.58 今年も礒永秀雄詩碑の前で…。
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子尊敬する詩人、礒永秀雄とは高校1年の時に国語教師として出逢った。ひょうひょうとした表情での、とらえどころのない授業だったが、一言一句聞きもらすまいと必死だった。
中学生の頃から稚拙な詩を書いていた私は、臆面もなく批評を仰いだ。思えば恥入るばかりだ。
今年の4月1日も、室積海岸公園に建つ詩碑を訪れた。先生のご子息、泰明夫妻も帰郷中で詩碑の前で合流した。
縁とは摩訶不思議だ。礒永詩を研究されている山口市小郡在住の田中章氏とその友人Y女史とは、この詩碑を通じて知り合った。田中氏は礒永先生没後、先生の作品に出会い、2017年より礒永詩を研究されている。その探究心、情熱には言葉もない。更に礒永詩の作曲もされ、自らも歌われる。今年も詩碑の詩『海がわたしをつつむ時』を、Y女史と合唱された。歌声は波に乗ってはるかな沖へと流れた。
私も昔、コーラスグループで歌っていた。ホホホ、それもソプラノパートだったが、今は歌えずだみ声になってしまったあー。
『ひがんばな』
夕焼け雲の落とし子か 切れた紅緒の幻か 河原を染めてあかあかと 狂めくものよ ひがんばな 想いあふれて 風を呼ぶ こころは誰も知りませぬ
我々、礒永クラスは全員、このひがんばなの歌が歌える。そして好きであった。詩碑建立の2001年4月1日に詩碑の前で、集まったクラスメートは声高らかにうたった。
学校卒業後、級友は全国に散ったが、彼女たちが帰郷したら車で詩碑に案内し“ひがんばな”を合唱した。
月日は流れ、級友、いや、我々は晩期高齢者になった。車の運転が好きではない私は、75歳で免許証を返納した。今では誰かに連れて行ってもらうか、電車とバスを乗り継いで行くしか方法がなく、室積海岸は遠くになった。
ご子息の泰明氏は先生と違って立派な体格だが、性格は先生に生き写しで、時々、先生と話しているような錯覚に陥ることがある。
室積に“礒永文庫”をつくるために、家を求められた。私はこの齢まで大切に保管していた“詩碑・駱駝”関係をはじめ、先生に関するもの全てをお渡しした。
断捨離中で、高校の卒業アルバムだけ取っていたが、泰明氏が所望されたので差し上げた。お渡し前にアルバムを開いたら、可愛い私が、いえ、若い礒永先生がにっこり笑っていらっしゃった。
