コラム・エッセイ
No.59 久し振りに思い出した…夫のこと
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子仲間内で、断捨離と言う言葉が飛び交う。ケチな性分の私は、なかなか物が捨てられず雑多な品物に囲まれて暮らしている。
先日、思い切って写真類を処分した。その勢いで、友人の古書店に、雑誌、各地から贈られてくる詩誌、個人詩集等を断腸の思いで引き取ってもらった。本棚に少しゆとりが出来た。
すっきりした気分で本棚を見渡していたら色あせた文庫本に目が止まった。それは亡夫が尊敬してやまない高橋義孝著『へんくつの発想』(新潮社)という随筆集だ。懐かしく手に取りページを繰るが、読んだ覚えがない。只今、新鮮な気分で、にやりとしながら少しづつ丁寧に読んでいるところだ。
随筆集の中に「隔年に山口の大学へ臨時講義をしにゆく。その時期は、どういうものか、いつも冬なのだ」とあった。
そこで思い出した。高橋義孝はドイツ語教授で、夫はその講義を受けて、ぞっこん惚れ込んでしまったようだ。夕方に教授が宿泊されているホテルへ友人と押しかけ、先生の都合やお疲れなど考えもせず、若さと厚かましさで押しかけた…とよく話してくれた。それで私は高橋義孝という名前を知っていた。
随筆集の最後に昭和57年発行とある。解説は江國滋であった。私は江國滋の解説を読み、居住まいを正した。高橋義孝と江國滋から抜き書きをしようと何度もページを繰ったが、出るのはため息ばかりだ。それはこの本を全部書き写したい、と言う衝動に駆り立てられるのだ。
少し長いが、江國滋の解説から抜き書きをします。
“ダンディズムの骨頂といってもいいエピソードを本書から拾えば、断じてお金持ちとはいえない義孝先生が、大相撲の毎場所初日に呼び出しや出方といった裏方の人たちにご祝儀を包むことを長きにわたる吉例にしておられるという「貧乏性」と題する作品の中で、その実況を、義孝先生伝えていわく。「劣等感意識にもみくちゃにされながら、祝儀袋を配った」…と。
高橋流洗練の極がこの一行に凝結している。”
長い引き合いに、私は身も心もチジム想いで、書き写しました。
それから、それからもっと驚いたことがあった。
本の裏表紙の片隅に夫の字を見たのである。
“59年2月、山陽荘へ持って来て貰う。退院してから読もう、へへへへ”
と、書いてあった。
全く覚えはないのだが、私は、この本を夫の入院先へ持参した…ようだ。
