コラム・エッセイ
No.62 最近出逢った本
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子尊敬する同級生、国広浩典氏は国辰履き物店の店主だが、別に「山口県銃砲刀剣登録審査員」の肩書を持たれる。全国には2百数人しかいないそうだ。
時々、我が家の先にある郵便局へ行かれる。大金を貯金しに行かれるのだ、とにらんでいる。
その帰途、時々、我が家へ立ち寄られることがある。
「姉さま、居る?」
プン!同級生の私をこともあろうに、姉さまとは!気に入らない。
先日、立ち寄られ1冊の本を差し出された。その本は、彼が敬愛する小林東五の随筆集『有象無象』(春秋社)で、令和4年4月8日発行だ。本には作者直筆のサインがあったので、私はその晩一気に読み上げ、次の日、店の履き物店へ返しに行った。
「これは、僕からのプレゼントです」
思わぬ言葉に私は飛びあがらんばかりだ。高価な本いえ、いえ、感激のあまりでお礼の言葉がみつからず、私のいつもの常套句、お世話になったりうれしい時の決まり言葉をのべた。
「ありがとうございます。お礼はカラダで」
「ええっちゃ、それにゃ、及ばんちゃ」
「何か勘違いしていない?家の中の掃除とか庭の草引きだけど」
どうも、私の感謝を自分流に解釈する“ヤカラ”が多くて困る。今までに小林東五の本を貸してもらったことがあるので、本当にうれしかった…のだ。
小林東五は作陶家、書家、詩人(漢詩)思想家等々、多くの肩書があり“最後の文人”と、呼ばれているそうだ。父親の“雲道人”は中学校を卒業した東五を、1年間手元で鍛え、16歳の春「人生流浪の旅に出て、毛孔(けあな)で世の中を見てこい」と、言ったそうだ。
いやいや、作品について書くのではないのに興奮すると冗舌になってしまう。
胸をときめかしてページを開くが、作中の漢字が全く読めない。卓上用広辞苑と、重い漢和大字典を、うんこらしょと気合を入れて持ち出し、ページを繰り、悪戦苦闘するのだが…、つ、つまり、多くの時間を労費(浪費ではない)するばかりだ。
小林東五氏は、今年87歳だ。若い頃から転々と居住地をかわられたが、今は石川県の加賀の山ふところに住み、「未了庵」と名づけた住居で暮らされている。
“やがて、終焉の時が必ず、やってくるが、終われば、上の一字の「未」を取ってしまえば「了庵」となる”としたためてあった。
子供や友人にこの本を贈呈したいので、本の追加を国広さんにお願いしている。今のところ申し込み者が多くていつ届くかがわからない、そうだ。
