コラム・エッセイ
No.63 贅沢三昧
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子私のくせだが、いつもは雑文を書き終えてから副題を考えるのだが、今回は副題が先に決まった。
副題を“贅沢三昧(ぜいたくざんまい)”とした。しかし、本当の贅沢三昧の意味とは全く違う。念のため、広辞苑を引っ張り出し贅沢の正しい意味を抜書きした。
“必要以上に金をかけること”または“分に過ぎたおごり”と出た。“贅沢三昧”とは、贅沢を思うままにすることだと出た。
実は、本来の贅沢三昧の意味を無視して、今の私の暮らしがいかに贅沢三昧であるかが書きたかったのだ。
只今、地球全体がコロナウイルスに汚染され、まん延し、人類は恐怖のどん底に陥っている。加えて、ウクライナとロシア軍の攻防戦はますます激しくなって、世界中の人びとは心を痛めている。毎朝、テレビニュースはこの2つの問題ではじまる。
こんな世界情勢ながらも、日本の片隅で暮らしている私の日常は静かにおだやかに明け暮らしている。もちろん、コロナにも戦争状態にも注意を怠らないというのは大前提である。
1週間のうち水曜日と土曜日には、湯野温泉か島地温泉に行く。S夫妻が車のない私を家まで迎えに来て下さる。
只今、私の暮らしはこの温泉行きが中心だ。何しろ、何しろ、私は晩期高齢者なのだから。温泉帰りに時々、昼食を済ませて帰ることもある。それはカツドン屋であったり、握り寿司屋のサービスデーだったり、ラーメン屋であったりする。
私はひとりで外食をしたことがない。ひとりでは気が小さいので食堂に入れないのだ。ところが気心の知れた友人たちと一緒なら大胆不敵な行動を取ってしまう。内弁慶とは私のような者を言うのであろう。
先週の土曜日、徳地で養鶏場の経営している食堂で昼食を取った。その食堂は、ご飯・味噌汁・生卵・お漬物の4点セットで、確か4百数十円だった。味噌汁のおかわりは出来ないが、ご飯・生卵・お漬物は食べ放題なのだ。
我々は張り切ったねえ。S氏は生卵を6個、私は4個、S夫人は3個いただいた。新鮮な朝採り卵はとてもおいしかったので、お礼を言いたくて頭を下げたいのだが、のどから卵がとび出しそうなので、そっくり返ったままでお礼をしたので…あります。
大きな箱に、いっぱい入った卵を買って帰った。常日頃、お世話になっている友人知人に配ったり、我が家でも卵ご飯かけにしたりして、ただいま、楽しんでいるところでーす。
