コラム・エッセイ
No.71 知らなかったなあーアサギマダラの里
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子物忘れすることが多くなった。先日もタンスの引き出しを前に、手が止まった。
「あれ、何を取り出すのだったかな?」
そんなことで、家の中をうろうろしながら苦笑する昨今だ。
心配になり、主治医に問うたら、先生はこともなげに言われた。
「大ー丈夫。アルツハイマーではないです」
先生の言葉に安心したが、念の為、友人達にも問うて見た。
「私も思い出せず、家の中をうろうろすることがふえたわ」
期待通りの反応に胸を撫でおろす。
先日、埼玉から嬉(うれ)しい来客があった。「防長の吉野をつくる会」の発案者でもあり、会長でもあった、高光定治さんとそのお嬢さんたちだ。
その会が何年に発足したのか忘れたので、年一回発行の「防長の吉野づくり通信」の編集者である、尾崎行雄氏に問い合わせた。
吉野の会は、平成6年10月に発足、今年で28年目だそうだ。私はひょんなことから高光さんとお知り合いになり、およばずながらお手伝いを買って出たが、無芸大食で、何の役にも立たなかったことを今も覚えている。
その当時高光さんは故郷の母上の看病のために帰られた。しかし、素晴らしい発想力・実行力から看病をしながら、やがて「防長の吉野の里をつくる会」を設立された。
春爛漫、桜並木や菜の花が咲き競い合って大勢のひとで賑わうようになった。
ところが、ある年、高光さんの奥方が、草刈りの最中にお亡くなりになった。奥方は純朴で優しい方で、高光家へよくお邪魔した。
高光さんはやがて埼玉へ帰られたが、桜の季節には必ず金峰に帰られ、一夜は我が家へ立ち寄って下さった。
コロナ禍で帰郷を控えておられたが、今年は帰郷された。当時、桜並木の道筋に、作業場にと丸太小屋を建てた、竹トンボ作家の木村竹馬夫妻もお呼びして、我が家の「あそび場」で、その昔を懐かしみながら、話に花を咲かせた。
昨年の10月頃、鹿野に所用があり、友人車で走っていて、久し振りに金峰へ立ち寄った。その時の驚きをどう表現したら良いか!
高光さんが埼玉に帰られてから、私は金峰と縁遠くなり、その後の金峰を知らなかった。
金峰は、アサギマダラの里に大変貌していました。山ふところ一面にアサギマダラの好物の藤袴が咲き乱れ、蝶は飛び交い、見物場所や休憩所が所々に設けられ、多くの見物客の笑顔が素敵だった。
10月頃に飛来するアサギマダラ見物お薦めです。いえ、知らなかったのは私だけだったのでしょうか。
