コラム・エッセイ
No.73 歳を重ねることも良い…ことだ。
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子富田大神の片田舎の前に立ちはだかる、永源山、その山の東南の空が真っ赤に燃えていた。5歳の私は祖母の背中で震えながら、その炎を見ていた。そう遠くはない村落の防空壕をめざしている祖母の背中におんぶされて…。
昭和20年7月27日、徳山燃料廠に落とされた爆撃弾は、町を、工場を、逃げ惑う人々の頭上に落ちた。亡夫の母上は一番下の幼な児を懐に抱きかかえて逃げた。散弾が母上の背中を走った。幸い幼な児の弟は助かったが、子供を守った母上は亡くなった。77年前の7月27日、徳山大空襲の時のことだ。
母上の法要も、50回忌までは私の務めとしたが、その後は、命日に般若心経を3回唱えることで、許してもらっている。
夫は52歳の若さで亡くなった。夫の位牌だけ別に作ってもらい、毎日お経をあげるのを日課にしている。
7月1日の朝、お経をあげながら、夫の横に母上の位牌を並べたら、ふたりに喜んでもらえるのでは…と考えた。たくさんある家族の位牌の中から、母上の位牌を取り出して、夫の横に並べた。
私は、朝起床するとまず家中の戸を開け放し、服装を整えてから仏壇の花の水を替え、般若心経をあげるのだ。
夫が亡くなってから何年も過ぎた頃、仏壇の引き出しの奥から、母上の写真が出てきた。夫が大切に保存し、時々、出して見ていたのかなあー、私はあらぬ想像をめぐらせたものだ。
初めてみる母上は、話には聞いていたが、本当に美人であった。色褪せた4つ切りの小さな写真であったが、美人にはかわりない。その写真を母上の位牌の横に置いた。
仏間の隣は居間で、その飾り棚に、私と弟を育ててくれた、血のつながりのない祖母と、私が3歳の時に亡くなった生みの母の、独身の頃の写真を置いている。夫と母上の仏壇にお経をあげた後、祖母たちに笑顔をかえす。
こんなことを長々と書くと、走れ!おばさんは幼少時代、不幸だったんだ、と思われるかも知れないが、私と弟は祖母の無償の愛情を受け、明るい素直(?)な子供に育った。
そして、今日に至っているが、更にたくさんの友人知人に恵まれ、清く・正しく・美しくを目標に、楽しい毎日を送っているので、あります。ハイ。
いつの頃からか、夫の母上と私の生母の写真が、重なりあっているのに気がついた。
物忘れのひどい昨今だがこんなうれしいことにつながるなんて…。
