コラム・エッセイ
No.74 祖母の命日も忘れて…。
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子前号で、夫の母上と私の生母が、いつしか重なりあった、と書いた。その、後日談がしたい。
ある日、仏壇の掃除をしていて、夫の母上の写真が出てきた。前号から、ずーと後の話だ。引き出しの奥にしまい込み、そのまま月日は流れていたのだ。
亡夫の妹は、電車で30分ばかり離れた町に住んでいる。今年86歳だと思うが、とても元気だ。母上に似て美人だ。私のことを“お姉さん〟と呼び親しく接してもらっている。
世間知らずの私は、嫁して来た頃、彼女を“お姉さん〟と呼んだら、夫が「彼女は僕の妹で姉ではないよ」と、注意され驚いた。
仏壇の引き出しから出て来た母上の写真は我が家にあるより、妹の所の方がよかろうと差し上げたら、とても喜ばれた。
先日、祖母の写真をみて、亡くなった当日のことは鮮明に覚えているのに、亡くなった月日を忘れているのにがく然とした。関西に住む弟に問うと、昭和32年6月22日であった。
私はその日、後輩のバスケットの練習を見に、徳山の学校へ、弟は映画を見に行っていた。
実は祖母の容態は悪く、父や義母、親戚一同は集まっていたが、父は私と弟には言い出せなかったのであろう。
私はバスケットの練習を終え、富田駅に着いたら、義母に出会った。
「おばあちゃんが亡くなったので喪服を取りに帰るところ、早く帰ってあげて」と言う。私は言葉も出ず、走りに走った。おんおん泣きながら、走って走って、おんおん泣いて、泣いても泣き足らず、走って走って家にたどりついた。
祖母のおだやかな顔を見ると、また涙があふれ、裏庭のビワの木の下で、おんおん泣いた。父がやって来て言った。「いつまでも、泣くんじゃない」
私は父を睨みかえしたのを今も覚えている。
いつもの癖で、話があとさきになって、申しわけありません。
父が再婚したのは、我々のためだったのだと思うが、祖父母は病弱な母を見かねて、私を引き取ったが、弟まで手がまわらなかった。弟は義母に懐かず、父の姉の所へあずけられた。
弟が4歳になった時、祖父母と私の住む、富田大神に帰ってきた。
当時は田舎の1本道で寂しかった。今で言うと、新南陽高校を過ぎたあたりで、高台にある祖父母の家が見える。弟は言ったそうだ。
「ココカラハヒトリデカエレルヨ」と。
祖父母の愛情を一身に受けて育ったのに、祖母の命日も忘れて、今日に至っている。
