コラム・エッセイ
No.81 高校の同窓会に出席して…。
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子10月8日(土)は、徳山高校の同窓会“岐山会”であった。コロナ禍のため、3年振りの開催だ。コロナの前は、キリンビバレッジ周南総合スポーツセンターが会場で懇親会は盛り上がったものだ。
今年は、徳高の体育館で、第1部は、令和3年の総会収入決算及び4年度予算書案報告後、2部は、徳高43期卒業のレノファ山口代表取締役社長の小山文彦氏の講演会であった。小山氏は須々万生まれ、沼城小、須々万中学校卒業後、徳高、山大という生粋の周南市出身だ。
私達、11期生は少し早めに学校へ行き、卒業後、あまり近づいたことのない校内を見学と洒落た。私は、中学、高校とバスケットボールにうつつを抜かしたが、高校の練習の厳しさについて行けず、憧れの男子キャプテンに、直立不動の姿勢で問うた。
「学校は、勉強をするために行くのですか、それとも、バスケットのためですか?」
「そりゃあー、バスケットのために決まっているじゃないかあ」
謎の解けた私は、バスケットにうつつを抜かしたが、何とか高校を卒業することが出来た。
校舎も運動場もはじめての見学だ。私が学んだ、いや、バスケットに精根尽くした頃とは、全く違っていた。
ところが、運動場の片隅に、楠の木を見つけた瞬間、高校生に戻った。楠の木の場所にバスケットコートがあったのだ。運動場説明担当の方から声がかかった。
「懐かしいですか」
「ハイ、あの楠の木の所で練習しました」
「僕たちは体育館でした」“?”は私です。
「中村さん、Ⅰです」
皆がマスクをしているので誰かわからない。彼は、バスケット部後輩のⅠ氏で、バスケット部同窓会の世話役であった。「なあんだ」
小山文彦氏の講演は素晴らしく、レノファ山口の話に終始した。レノファ山口FCの現状を中心に、それは、選手の強化にはじまり、ホームグランドの山口市の陸上競技場についてである。陸上競技場は観客とプレイヤーとの間に距離間があり、専用サッカー場のような選手と観客との一体感が薄い等々、自分の想いを熱く語られた。
さて、その後、お楽しみ抽選会があった。くじ運の悪い私は、次々に当たって喜ばれる諸先輩や後輩を羨ましく眺めながら拍手をおくっていたら…ナ、ナント、終わり近くの高級酒になった頃、聞いたような名前「ナカムラミツコサン」と呼ぶ声が聞こえた。
私は生まれてはじめての幸運に
「これは、一生涯中の“ツキ”で、あとは死を待つばかりだなあ」
と、思ったのであります。
