コラム・エッセイ
No.45 今年もお世話になりました。
美人薄命 走れ!おばさん 中村光子今年最後の雑文です。十二月を師走と言う、普段、忙しくない先生も十二月は走る、と誰かに教わった。念のために愛読書『広辞苑』を繰ったら、出ていない。死語になったのか。
我が子はふたりとも教師だ。息子熊五郎は遠方に住み、年に一度、暮れと正月を我が家で過ごすと、さっさと勤務地へ戻る。なんでも、学生の卒論が気になると言うのだ。「日ごろ、勉強せんのが、正月にするかしら」と、私が悪態をつくと、ジロリにらみ返す。
可愛い娘も年中、忙しく働いている…ようだ。だ、だから、先生だって忙しいのです、と子どもにかわって弁解したかったのに…残念だ。
毎年、十二月初めの日曜日は所属するサルビアバレーボールクラブの年忘れバレーボール大会で始まる。
以前は部員六十数人の大世帯だった。“みんな仲良く楽しいバレー”がキャッチフレーズなのだが、ある時「そんな生温いのはイヤ」と脱退者が出た。
創部当時は若かった者も八十代に突入し、歳相応のバレーボールプレーヤーになった。物足りないという気持ちもわかるが、人間、皆老いる…。
九月に「全国おふく大会」(七十歳以上)に山口県代表で出場したことは以前に書いた。どの県の選手も、各チームからの優秀な選手を集めた混合チームであった。我がチームのような純粋なチーム構成は皆無である。
時々、市広報で、優秀選手が優秀な成績をおさめ、市長に報告し、市長とにっこり写真におさまっているのを見る。
大変な努力や頑張りに、とやかく言う筋合いはない。ないが、我がチームは七、八十歳代になっても、自主運営の大会を開催し、下松や山口からも参加チームがあることを、胸を張って自慢したい。
話が横道にそれた。恒例の年忘れバレーボール試合のあと、新装なった下松の国民宿舎“大城”で、忘年会をした。夕日を眺めながら露天風呂で汗を流し、ごちそうに舌つづみを打ちながらのビールのおいしかったこと…。
宴もたけなわのころ、六年生(六十歳代部員の総称)から七年生、八年生に花束の贈呈があった。思いがけないプレゼントに、皆、言葉に詰まった。
創部当時は、皆若かったから、役員会で決めた通りに練習し、大会を開いた。つ、つまり、我々が五十代のころは、自分につまらない自信のようなものがあったのだ。
今、五十代の選手は四人、老いた部員を優しくカバーしてくれる。それぞれの年代がいい味を出してくれている。こんな形にチームが変身することを、誰が予想したろう。
