コラム・エッセイ
又 長月(二)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)秋刀魚が近年になく豊漁。店頭に並んで食欲をそそります。秋の味覚を早速いただきました。お酒も進みます。
和歌山県新宮市出身の詩人、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」。〈あはれ 秋風よ 情あらば傳つたへてよ ―男ありて 夕餉に ひとり さんまを食ひて 思ひにふける と。〉『我が一九二二年(抄)』に収められた有名な詩です。ひと雨ごとに気温が下がって秋の気分を味わいます。
金沢市出身で不遇の幼少期を過ごした詩人、室生犀星も初秋の思いを詩「月草」に託しました。空気は澄み、空は高く、さやかに風も吹き抜けます。
秋はしづかに手をあげ
秋はしづかに歩みくる
かれんなる月草の藍をうち分け
つめたきものをふりそそぐ
われは青草に坐りて
かなたに白き君を見る
秋になると草に坐り、草に寝ころびて思いにふけります。防府市に生まれた山頭火もまた俳句を詠んでいます。
すわれば風がある秋の雑草
寝ころべば青い空で青い山で
昭和8年(1933)9月12日、防府市末田海岸辺りで十句以上を詠んだうちの二句。私も子どもの頃に春のれんげ畑で、海の見える小学校の土手で、多感な青春時代に高校や大学のキャンパスで寝ころんで季節を感じながら心を遊ばせていました。
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし十五の心
石川啄木が旧制中学時代を過ごした盛岡市。学校を抜け出し、読書や昼寝をした盛岡城跡にこの歌碑があります。この辺りはかつて不来方と呼ばれていました。啄木の15歳と言えば明治33年(1900)。日清戦争と日露戦争のはざまです。軍人として政治家として児玉源太郎が粉骨砕身の努力をしている時代。台湾総督もしていて多忙な身の上。明治36年には私財を投じて故郷の徳山に私設図書館ともいえる「児玉文庫」を開設しています。
長すぎて僕の体に秋の風
児玉源太郎の辞世とも思えるような一句。日露戦争に目途がついて12月の「凱旋」を控えた明治38年秋の述懐とされます。この9月13日の児玉源太郎顕彰会の第9回藤園忌俳句の表彰式で山下武右会長が紹介、臨席の俳人で選者の坪内稔典さんが「佳句なので広めてください」と。源太郎は翌年7月病没。私心を捨てて近代国家への道に生涯を捧げた55年の人生でした。
