コラム・エッセイ
又 神無月(二)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)天高く馬肥ゆる秋。今では古風に聞こえる表現も、かつてはよく使っていました。「天高し」とは空気が澄んで空が高く感じられることです。「秋高し」や「空高し」も同じ意味の秋の季語です。
児玉源太郎顕彰会の「藤園忌俳句」選者の坪内稔典さんは、毎日新聞に「季語刻々」を連載、今昔の俳句を楽しく紹介しています。9日の紙面では〈秋晴に申し訳なし窓を拭く〉(岩田由美)を引き合いに「この気分、分かるなあ。空気が澄み、空がとっても高い。それが秋晴れだが、そんな秋晴れの日、ボクも岩田さんの気分になる」と述べています。
澄みきった季節に思い出すのは八木重吉の詩「素朴な琴」。私の大好きな詩で、奇しくも坪内さんが前文に続けて触れていました。
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだらう
八木重吉は明治31年(1898)東京生まれの詩人。東京高等師範を卒業して兵庫県御影師範英語教諭として4年間教えた後、開校まもない千葉県立東葛飾中学校に大正14年転任。昭和元年結核を宣告、翌年6月依願退職して10月に逝去。29歳の若さでした。重吉も、とみ夫人もクリスチャンで、夫人の回想によると「重吉のピンと張りつめた弓弦のような、場合によっては狂気に近いような熱烈な信仰には、ただただ圧倒されたことでした」。
「素朴な琴」は重吉の死後、昭和3年2月に刊行された第二詩集『貧しき信徒』に収められています。御影時代の詩作をまとめた第一詩集『秋の瞳』は大正14年8月に刊行。その中の「咲く心」も胸に沁みます。
うれしきは
こころ 咲きいづる日なり
秋、山にむかひて
うれひあれば
わがこころ 花と咲くなり
重吉昇天の時、とみ夫人は22歳。幼い二人の子を抱え、洋裁の内職ののち、白木屋(当時銀座にあったデパート)に10年、さらに日本製綿工業組合に勤めて二児を育て上げ、重吉の詩稿を守りつづけました。
キリスト教信仰を背景にした透明感のある詩は、今も多くの人々に愛されています。私は30歳過ぎに初めて知って大きな影響を受けました。その折購入した『八木重吉全集』(筑摩書房)を久しぶりに紐解きました。いつの間にか夕日が西の空を茜色に染めていて、その美しさは天からの贈り物のように思えました。
