コラム・エッセイ
又 卯月(一)
随想 季節の中で 西﨑博史(周南文化協会会長)桜が美しい春です。小学校の卒業式から入学式までの2週間、毎日のように桜を愛でて過ごしました。桜並木をはじめ、山桜の遠景も私たちの目を楽しませてくれました。
新年度が始まった4月1日。官公庁や企業で辞令交付式がありました。真新しいスーツ姿のフレッシュマンは清々しいです。もう半世紀も前のわが姿を投影して懐かしさがこみあげてきます。若い人には大いなる夢を抱いてはばたいてほしいです。お釈迦さまの誕生日の8日はほとんどの学校で入学式。幼稚園、保育園から小学校へ。小学校から中学校へ。どんな学園生活が待っているのでしょう。胸が弾みます。
この世に存在していることの喜びを感じて一日一日を大切にしてもらいたいです。誰もがかけがえのない存在なのです。小学校4年に上がるまでを徳山で過ごした詩人まど・みちおは、宇宙に存在するあらゆるものに対等の価値を見いだしました。私の好きな詩に「ぼくがここに」があります。
ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない
(中略)
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として
生きる道を失い、どのように歩けばいいのかわからなくなった時に、この詩に出合って気持ちが楽になりました。生きていることの喜びを感じさせてくれました。
咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり
高浜虚子の名句。風のない日の桜。大きな枝も見えないほど咲き満ちた花。その木には桜の精がひそんでいるようにさえ思えます。満開も束の間、翌日には一斉に散り始めます。
空をゆく一とかたまりの花吹雪
虚子に師事した俳人高野素十が奈良・吉野山で詠んだ一句。山一面の千本桜。私も学生時代に夕暮れ時の吉野山を歩いたことがあります。谷を渡る花吹雪。壮大な風景に人間が小さく見えました。
桜が散ると若葉の季節へ。いのちの息吹を感じます。新人たちが活躍するとともに人生の節目を迎えた人たちも決意を新たにします。経験を踏まえて確かな一歩を踏み出します。小説をあきらめて、虚子が俳壇に復帰した折の一句に心の高ぶりを表現しています。
春風や闘志いだきて丘に立つ
