コラム・エッセイ
児玉記念館
翠流▼周南市美術博物館で開かれた周南の近代を彩った人たち・周南人物伝7「明治維新150年と児玉源太郎」展の中に、児玉神社の鳥居の写真があった。鳥居は今もあるが、位置がかなり違っているように見えた。
▼昭和10年当時の地図を見ても、児玉神社の参道は西側からで、南側は商家になっている。参道脇にある後藤新平の碑が当時のままだとすれば、鳥居は神社の西側、現在の児玉公園と駐車場の間、タイワンゴヨウの大木が並ぶ通りに向かって立ち、こちら側から参道が始まっていたことがわかる。
▼市民館の跡地に市は国の出先機関の庁舎を集めるという。そばに裁判所や検察庁・拘置所もあり、考え方として間違っているとは言えないが、市民が待望している児玉源太郎記念館を建てるとすれば、やはりこの場所しかない。例えば1階は児玉記念館、2階は小ホール、3階以上が国の機関にすることはできないだろうか。
▼新しい市庁舎の市長応接室の窓からは正面にタイワンゴヨウや児玉神社が見える。その左手には拘置所がある。もし建てるとすれば拘置所の南側にし、その前に、児玉神社へ向かう通路を通し、藩制時代の遺構で解体、保管されている佐藤家長屋門を再建してもいい。
▼また記念館には市美術博物館の歴史関係の常設部門を移し、徳山だけでなく市内全体の歴史や先人の業績を紹介するようにして、美術博物館は美術専門館にすることもできる。市民の盛り上がりを期待したい。
(延安)
