コラム・エッセイ
地橙孫の青春
翠流▼周南市の兼崎地橙孫顕彰会が開いた桜美林大学准教授、藤沢太郎さんの講演「埋もれた俳誌を掘りおこす〜兼崎地橙孫とその周辺」が面白かった。地橙孫というと和服で利休帽に丸い眼鏡の老成した姿の写真を見ることが多く、その俳句も「清明の句」とされている。
▼しかし、今回、藤沢さんが紹介したのは地橙孫がまだ熊本の第5高等学校や京都帝国大学に在学していた血気盛んだったころの活動。地橙孫は大学を卒業したあとも下関で弁護士を開業するまで第一師団軍法会議構成員という官職を得るが辞し、大陸への出入り口であった下関で新聞社の主幹も務めた。弁護士という仕事や写真から受ける堅苦しい印象とは違った面があったことがうかがわれる。
▼今回の講演では、俳句を通じて全国に広がる交友関係の一端が明らかにされた。その中には種田山頭火や山頭火とともに自由律俳人として周防三羽ガラスと言われた徳山の久保白船、田布施の江良碧松の名もあった。そのほかにも当時、各地で文化面のリーダーだった人たちの名前が次々に挙げられた。
▼その中で、地橙孫はまだ学生だったが、俳誌に俳句だけでなく詩や「層雲俳句無用論」「ホトトギス俳句無用論」などを発表した。山頭火はこうして知り合った仲間を訪ねて旅を続けたのではなかろうかとも思った。
▼今年は顕彰会が発足して10周年になるが、10月には防府市に山頭火ふるさと館がオープンする。再び地橙孫や白船などの人々が注目されそうだ。
(延安)
