コラム・エッセイ
伊藤公資料館
翠流▼光市の伊藤公資料館を訪れた。きっかけは児玉源太郎顕彰会の会報「藤園」第9号の周南公立大学の福屋利信客員教授の「松陰に学び、松陰から離れることによって自己創造をなした伊藤博文」。福屋さんは6月8日の同会の総会でも「ともに松陰に学び、松陰から離れた伊藤博文と離れなかった山県有朋」の演題で講演した。
▼伊藤、山県とも総理大臣になったが、その後の日本は日中戦争から太平洋戦争へと悲劇の道を歩み、明治を牽引したリーダーの評価は今も確定しない。
▼藤園9号には小林道彦北九州市立大学名誉教授が「『山縣有朋―明治国家と権力』を書き終えて」を寄せている。昨年発行の第8号には福屋さんの「日韓共栄の夢を抱いていた伊藤博文」、小林さんの「山県有朋の国葬―押し寄せる群衆」が掲載されている。
▼伊藤、山県とも、徳山藩出身の軍人、政治家の児玉源太郎と深く関わっていた。同じく長州出身で明治、大正に総理大臣となった人物には桂太郎、寺内正毅もいる。伊藤、山県、桂、寺内も幕末や明治の早い時期に大英帝国時代のイギリスや大統領制の米国、共和制に向かうフランスなどを見た。当時、日本には国会や憲法もなかった。欧米と並び立てる日本にするためには何をすべきなのか、伊藤らはどんな日本の未来を見ていたのだろうか。
▼秋には伊藤公記念公園内の県指定文化財、旧伊藤博文邸で福屋さんの提唱で、伊藤などについてのシンポジウムが開かれるという。今から楽しみだ。
(延安弘行)