コラム・エッセイ
小川元徳山市長 旅立ち
翠流▼小川亮元徳山市長が亡くなった。1979年から20年間徳山市長を務めた。日刊新周南が創刊した34年前はまだ2期目。81年に「緑と文化と活力に満ちた中核都市」を目標とした基本構想を策定。この構想に基づいた施策を展開していた。
▼市文化会館などを建設、緑と文化のプロムナードが造られ、鼓海には周南地域地場産業振興センターができ、周辺は企業団地となった。一方でコミュニティ活動の推進や国際交流にも力を入れた。
▼出光興産の製油所建設、周南コンビナート形成、周南団地の建設など戦後、育ててきた木の果実を収穫し、同時に次の世代のために苗を植えていった。
▼小川市政の20年を改めて振り返ると、コミュニティ、産業育成、そして都市合併と全国の都市がその後、歩む道を一歩、リードしながら進んできたことがわかる。
▼東京大から自治省に入り、市長就任の直前には岡山県の副知事だった行政経験と人脈を生かし、国はどこへ進んでいこうとしているのか、徳山はどう動くべきか、察知していたからできたことだ。
▼高い見識を持ちながら住民とはコミュニティならぬ「飲みニティ」を実践し、時にはカラオケのマイクも握った。職員に対しては厳しかったが、慕われもして退職した職員が市長公舎で市長に叱られたことを楽しそうに話していたことが印象に残る。市長を退任後も20年間、ふるさとへの熱い思いを抱き続けた小川さんの最後の仕事が児玉源太郎顕彰会。この活動も未来につながるに違いない。(延安)
