2026年05月15日(金)

コラム・エッセイ

(7)大了寺

補 周南新百景 佐森芳夫(画家)

 「小日本」と書いて「こにっぽん」と読む。『豊浦郡郷土誌』に、「豊東・岡枝・楢崎・内日の四ケ村に連亘せる一大平野にして、俗に小日本と称す」と記されているように、下関市菊川町の平野を指す言葉である。

 「小日本」と呼ばれるようになった由来については、菊川町教育委員会が発刊した『小日本 昔ばなし』の中に、菊川町の広い盆地を初めて見た庄屋の息子が発した小日本という言葉が広まったなどと書かれている。

 その『小日本 昔ばなし』には、菊川町に伝わる昔ばなしが書かれている。いずれの昔ばなしも興味深い貴重なものであるが、その中でも異彩を放っているのが大了寺鉱山について書かれた「大了寺の鉱山」である。

 「大了寺の鉱山」には、大了寺鉱山が日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦のあった明治27年から大正3年までの間に鉄鉱石を採掘していたことや、当時の様子、稼働状況、鉱石の運搬方法などが詳しく書かれている。

 良質の鉄鉱石が採れていたとされているが、埋蔵量が少なかったらしく次第に発掘されなくなったようである。それでも、海外からの輸入に頼ることができなかった戦時中には、貴重な鉱物資源であったに違いない。

 それ以外に特に気になったのが、「大了寺の鉱山」を説明する出だしの部分に、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人が源氏の追討から逃れるために、中山渓をさかのぼって山の奥に隠れ住んだと書かれていることである。

 落人は、その地に大了寺というお寺を建てたとされている。『防長地下上申』では雄了寺と書かれているが、雄の字に「ヲゝ」のフリガナが打たれている。その後、お寺はなくなったが、地名となって残されている。

 昭和の終わりころにはだれも住む人がいなくなったと「大了寺の鉱山」に書かれている大了寺(おおりょうじ)の集落跡を訪ねてみた。植林によって閉ざされた風景の中に、当時を偲ぶかのように石垣が残されていた。

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