コラム・エッセイ
(18)須磨寺
補 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
神戸市須磨区は、源平合戦が行われた場所として有名である。その須磨の歴史を象徴しているのが須磨寺(すまでら)であろう。そのことは、須磨寺が正式名ではなく通称として使われていることからもうかがえる。
その上野山福祥寺の境内には、源平合戦と関わりのある多くの資料や史跡が残されている。中でも特に有名なのが、一ノ谷の合戦で熊谷直美と一騎討ちをして命を落とした平敦盛の「青葉の笛」や「首塚」であろう。
さっそく、須磨寺に向うことにしたが、山陽電鉄の須磨寺駅を降りたところに、「平重衡とらわれの遺跡」と彫られた石碑があった。説明板には平重衡とらわれの松跡と書かれていたが、その面影は残されていない。
平清盛の五男である重衡(しげひら)は、源平合戦の時に生田の森から逃れて来たところを源氏方に捕らえられている。この戦いによって、平家の多くの武将が命を落とした中で、唯一生け捕りになった人物でもある。
その後、重衡は京都から鎌倉に送られる。源頼朝は、重衡を厚遇したとされているが、平家が滅亡すると南都に引き渡される。そこで、東大寺・興福寺などを焼き尽くした責任を問われ、木津川の河原で斬首された。
そうした人生の無常は、謡曲「笠卒塔婆(かさそとば)」の中で、「朝に紅顔ありて。世路に楽しむといへども。夕べには白骨となつて。郊原に朽ち果てし。木津川の波と消えて。あはれなる跡なれや。」と謡われる。
重衡の首は、奈良の般若寺の大鳥居に釘付けにされたと言われている。
無残なようであるが、当時は切り取った首をさらすことによって、朝廷や権力に逆らった者の末路を広く世間に知らせる意味があったと思われる。
あやうく見逃しそうになるほどの狭い場所にある石碑に別れを告げて、「知恵の道」と呼ばれる商店街の通りを進んで行くと、やがて、須磨寺の仁王門と手前にある龍華橋(りゅうげばし)の赤い欄干が見えてくる。
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