コラム・エッセイ
(22)梅の花(下松市河内)
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
南北朝時代における大内氏と鷲頭氏の戦いの場となった下松市には、多くの犠牲者を葬ったとされる千人塚が残されていた。しかし、現在では、千人塚の記録も少なくなり、その所在地をたどることも難しくなった。
千人塚の一つが、『防長地下上申』の河内村の項に記されている。大まかな内容は、吉原の南の山高き所、八条の山のかって乱世のころ戦場となったところに千人塚があるといったものである。
これだけの説明では、皆目見当もつかないので、下調べのつもりで現地に足を運んだ。多くの梅の花が咲いている吉原川沿いを進んでみたものの、当然手掛かりは見付からない。
付近に人影が見えたので、千人塚について尋ねたところ、幸運にも千人塚までの道順を教えてもらうことができた。はたして道が残されているかという不安もあったが、時間的な余裕があったので足を踏み出した。
狭い段々畑が重なる急傾斜の山道を進むと、やがて植樹林に入る。石垣が続く薄暗い道をしばらく登ると、尾根に出た。両側が切り開かれた尾根道は、山頂を越えると緩やかに下って行く。
尾根道が右に曲がった辺りに、千人塚はあった。落葉に隠れて見逃しそうになるが、注意深く見ると右側の盛りあがった部分に、大小の石とともに五輪塔らしき石が散乱しているのが分かる。
さらに詳しく調べてみると、かなり広い範囲に石が散乱していることから、かなり大きな千人塚であったように思えた。
雑木や杉などでおおわれているため視界が望めないのが残念であるが、かっては尾根の両側に段々畑が続く絶景の地であったことを斜面に残る石垣が物語っていた。
