コラム・エッセイ
(8)渋柿(下松市末武上)
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
下松市の上地地区を訪ねた。上地と書いてアゲジと読む。地名の由来について『防長風土注進案』に、古くには八幡宮があったので神地村と言っていたが、いつのころか上地村というようになったと記されている。
一方『防長地下上申』では、高い土地であったことが由来とされていることから真偽のほどは不明とすべきであるが、それでも八幡宮が鎮座していたと伝わっていることに注目したい。
他の『下松のいろいろの歴史』などにも、現在の花岡八幡宮が豊後浴(ぶんごえき)にあったように記されていることなどから、上地に八幡宮があったことの真ぴょう性はかなり高いと思われる。
では、いったい豊後浴がどこにあったのか。その具体的な場所を知りたいと思った。手掛かりのないまま各地を訪ね歩いた末に、上地にある花岡八幡宮の裏参道にたどり着いた。
その付近で、偶然にも出合った地元の人から思いがけず地域の歴史に関する話を聞くことができた。そして親切にも、さらに詳しい方の家にまで案内してもらった。
そこでは、豊後浴の具体的な場所や豊後から八幡宮が伝わってきたことなど多くの貴重な話を聞くことができた。しかし、かって八幡宮があった場所を直接確認することができた訳ではない。
地権者の許しを得て豊後浴の近くまで行ってみると、なぜ八幡宮を移さなければならなかったのかという新たな疑問が浮かんだ。証拠も記録も残されていない現在では、その理由に辿り着くことは不可能に違いない。
おそらく渋柿であろう。足元に落葉とともに落ちていることに気が付いた。
