コラム・エッセイ
(9)ツワブキ(石蕗)(周南市河内町)
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
ツワブキの花が咲いていた。周南市河内町にある河内薬師堂の石段を登ると、「薬師如来立像」の説明板の下や地蔵菩薩のそばで黄色いツワブキの花が咲いていた。
ツワブキの名前の由来は、他説もあるが、ツヤのある葉が蕗(ふき)に似ていることから艶蕗や艶葉蕗となり、それらの読み名がいつの間にかツワブキに変化したと言われている。
そのツワブキに石蕗の漢字があてられるようになった理由として、岩や石の間でも育つことがあげられているが、日陰や石垣の間などで咲く姿を多く目にすると妙に納得させられる。
しかし、ツワブキは蕗の仲間ではなく、花のようすを見るとわかるように菊科の植物である。花言葉にはその生態からか、「困難に負けない」が付けられている。
河内薬師堂は、明治6年に光市に移転した願成院にあったもので、堂内には普段は拝観することができない鎌倉期の薬師如来立像が安置されている。
薬師堂のそばをさらに奥に進むと裏山の入口があり、その入口の横に天保3年に建てられた地蔵墓がある。『新南陽ぶらり探訪』などにも書かれた捨子地蔵墓である。
その名前をそのまま読むには、余りにも忍びない。天保3年ごろから10年まで続いた大飢饉の犠牲となったのであろうか、また天保元年から3年にかけて藩内各地で起きた大一揆の影響を受けたとも考えられる。
捨て子禁止令や間引き禁止令が出されるなど常に社会の混乱と生活の困窮に直面していた時代には、さほど珍しいことではなかったのであろう。
「猿を聞く人 捨子の秋の 風いかに」芭蕉の句も悲しい。
