コラム・エッセイ
(57)栗拾い
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
先日、フランス全土に外出禁止令が出されたとの新聞報道があった。5月のロックダウン以降、経済活動を再開し国内旅行を促進してきたことで、第2波の感染が急激に広がったようである。
フランスに特別に親しい人がいる訳ではないが、かってフランスに憧れて短期間ではあってもパリに滞在した経験がある者の一人として、その動向から目を離すことができないでいる。
渡航できないという状況に加えてさらに外出禁止令が重くのしかかり、密かに抱き続けてきたオルセー美術館でもう一度ミレーの「落穂ひろい」を見たいという夢が次第に遠ざかっていく。
19世紀フランスのバルビゾン派の画家であるミレーの代表作の一つ「落穂ひろい」には、刈り取りが終わった広い農地で3人の女性が落穂を拾っている風景が描かれている。
その卓越した描写力に感動した記憶が残っているが、その後、描かれた3人の女性は落穂拾いの仕事をしているわけではなく、刈り残された落穂を生活のために拾っているのではと思うようになった。
旧約聖書「レビ記」には、「刈り入れるときは畑の隅々まで刈りつくしてはならない、落ち穂を拾ってはならない」さらに「貧しい者と寄留者とのためにこれを残しておかなければならない」と記されている。
ミレー自身は作品について多くを語っていないとされているため、制作の本意は不明とすべきであろうが、もう一度チャンスがあれば、ぜひこの目で真意を確かめてみたいと思う。
ナシ狩りやリンゴ狩りなど秋の味覚の果物に対しては、「狩り」の言葉が用いられているが、栗は落穂と同じく「拾い」が使われている。その違いは、果実が地面に落ちているか否かであろう。
