コラム・エッセイ
(32)ノアザ((野薊)
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
指先に激しい痛みを感じた。外出を自粛している中、気分転換のため家の外に出た時であった。うかつにも、ノアザミの紅紫色の花が咲いているところを見つけて、思わず手を伸ばした。
野に咲く花には、庭や花壇で育てられた花とは違った魅力がある。その花のほとんどは、誰かが植えたものではなく勝手に生えたものである。摘み取ったところで、誰からもとがめられることはないであろう。
もしかしたら、野の花を身近で親しみやすいと感じるのは、いつでも摘み取れるという身勝手さからかもしれない。そういえば子供のころから、多くの花を摘み取ってきたが、一度たりとも罪悪感を持ったことはない。
指先の痛みは、摘み取られることを拒絶するというノアザミからの強い警告だったのだろうか。それでも、同情することもなく、今度は慎重にノアザミを摘み取った。
家の中に持ち帰って、真近で見てみると紅紫色の花よりも葉っぱに生えているトゲのほうが気になった。見れば見るほど、人間のものづくり技術が貧弱に思えるほど精巧に作られたトゲには、驚かされる。
そして、そのトゲの先鋭的なフォルムからは、美しさとともに積極的な攻撃性を感じた。しかし、いったい何に対しての攻撃なのか、武装する理由はどこにあるのか、などの疑問が次々と湧きあがってくる。
その謎を解き明かすことはできないが、ノアザミにはノアザミなりの深くて長い歴史があり、決して知ることができない理由があるに違いない。
アザミの花言葉の一つに「触れないで」がある。
しかし、あらゆる困難の中を生き続けてきたであろう姿からは、勇気と希望が感じられる。
