コラム・エッセイ
(34)カーネーション(オルフィカ)
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)![]()
山口市大内にある標高199メートルの姫山は、かって平井冨士と称されていたとされるほどの美しい山である。しかし、その優美な山容とは裏腹に、余りにも残虐と言える伝説が残されている。
『大内村誌』(マツノ書店)に「姫山の美女伝説」として書かれている内容は、殿様の意に従わない美女を姫山の頂上にある古井戸に投げ込んで蛇責めにして殺したとするものである。
ところがこのような残酷な事件が起きたとする史実がないことから、ある出来事が伝説の起源となっているのではないかと推測されている。それが、二の丸様誘拐事件である。
野上庄(旧徳山市)の領主、杉小次郎元宣(もとのぶ)の夫人の周姫(かねひめ)は、絶世の美女であった。そのため毛利輝元の横恋慕によって拉致、監禁されたうえ、夫まで殺され失意のうちに輝元の側室となる。
夫元宣の死因は不慮の死と偽装されたが、いかに藩主であっても史実そのものを消し去ることはできない。暗殺の事実は『古老物語・防長古今見聞集』(マツノ書店)などに語り継がれている。
広島城の二の丸に住んだ周姫は、二の丸様と呼ばれ、初代長州藩主毛利秀就、初代徳山藩主毛利就隆、竹姫の3人の子供を産んだ。関ケ原敗戦後は、萩城に入ることなく32歳の若さでこの世を去った。
病床で語ったとされる周姫の遺言が、周南市一ノ井手の元宣の墓のある興元寺の脇に建てられた「周姫様面影」の像の縁起に記されている。
「もう輝元公は正室(南のお方)様にお返しをして、私はあの世に参り、先の夫・杉元宣公の側に行きおわびがしたいが、はたして元宣殿はこの私を許してくださるでしょうか」
