コラム・エッセイ
(72)ヤマカガシ
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)ヘビに出会った。ヘビは、昼間にもかかわらず、急ぐそぶりも見せずアスファルト道を横切っていた。その長い体に輝くような初々しさが感じられたのは、もしかしたら、冬眠から覚めたばかりだったからであろうか。
いつも、ヘビを見るたびに思うことがある。それは、「中途半端な思い込みほど危険なものはない」ということである。特にその対象となっているのが、目の前を移動している「ヤマカガシ」と思われるヘビである。
子どものころを山間地で過ごしたこともあり、ヘビとの関係はかなり濃密であった。古い家では、当たり前のように家の中にヘビがいた。ネズミを退治してくれるということで、あえて駆除はしなかったように思う。
ヘビの一種である青大将が梁(はり)や鴨居(かもい)からが落ちてくることも決して珍しくはなかった。納屋で遊んでいると、藁(わら)のなかからヘビが出てくるなど、いまでは考えられないほど身近な存在であった。
そのころは、マムシだけが毒蛇というのが常識であり、誰も疑うことはなかったはずである。ところが、突然のようにヤマカガシにも毒があると知らされた。しかも、その毒はマムシの数倍も強いと言われている。
知らなかったとはいえ、今になって思えば冷汗が出るどころではない。無毒と思えばこそ、あらん限り狼藉を働いていた。ポケットに忍ばせて、人を驚かす道具として使うこともあれば、無残にも殺すこともあった。
さらに、後になって知らされたのは、ヤマカガシの首の背面から毒液が分泌されることであった。ヤマカガシがおとなしいヘビであったからこそ何事もなかったのだろう。中途半端な思い込みほど危険なものはない。
昔の人はヤマカガシに関わると何らかの被害が生じることに気付いていたからこそ、その被害を祟りとすることで身を守ろうとしていたのであろう。そこに「触らぬ神に祟りなし」の本来の意味があるような気がする。
