コラム・エッセイ
(74)新緑の候(こう)
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)山を見ると、そこには、青い空に浮かび上がる木々の若葉の色があった。冬の時期には、目立つことのなかった枯れた色が、そこで生きているであろう木々の一本一本が識別できるかのような多くの色で埋まっている。
おそらく今の新緑の時期がなければ、山を単に大きな塊としてしか見ることができなかったに違いない。そんな閉塞した感覚に、衝撃を与えているかのような木々の色の一つ一つに、感謝するしかないかもしれない。
そんな風景を目の当たりにすると、最近ではすっかり縁遠くなった手紙の一文「拝啓 新緑の候、」が頭に浮かんでくる。新緑の候とは、「若葉が茂るころ」「新しい緑の季節」を表した時候の挨拶のひとつである。
今の季節に最適な時候の挨拶のように思われるが、正しくは5月の挨拶である。また、新緑は、『最新俳句歳時記』に「初夏のころの、木々の若葉の艶やかなみどりを言う」と書かれているように夏の季語でもある。
新緑に萌える風景を楽しみながら車を走らせていると、周南市の北部、須金にある「須金清流公園」にたどり着いた。公園の広い駐車スペースからの眺めは、まさに「新緑の候」そのものであり、絶景の一言に尽きる。
さらに、公園から錦川の川べりに降りてみると、そこには更なる絶景が広がっていた。その中心となっているのが、錦川と長谷川とが合流するあたりにまるで浮かんでいるように見える船の形によく似た奇岩であろう。
新緑をまとった一本の松の木がマストのように立ち、デッキのような周囲の岩には満開のツツジの花が飾り付けられているように見える。自由な発想はできるだけ現実から遠く離れているほうが、楽しみが増してくる。
この辺には岩国市錦町野谷の旧美川鉱山から周南市大字大向の旧金峰鉱山に続く蛇紋岩の鉱脈が通っているという。もしかすると、船に姿を変えた奇岩は、どちらかに向かって移動していく途中なのかもしれない。
