コラム・エッセイ
(79)ゆめ風車
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)周南市富田にあるTOSOH PARK 永源山(永源山公園)に行ってみた。園内は、熊の目撃情報などがあったためしばらくの間立ち入り禁止となっていたが、新たな目撃などがないことから6月1日には通常の開園となった。
最初の日曜日にあたる4日には、天候に恵まれたこともあり多くの人で賑わっているものと期待していたが、メインエントランス広場から伸びるケヤキ並木の幹線園路には人影がほとんど見られず静寂に包まれていた。
風車運転日を知らせるのぼり旗の横を通り過ぎて幼児広場に向かうと、そこでは数組の家族が遊んでいる姿があった。さらに「母と子の広場」では、芝生を走り回る一組の親子とベンチに座る2組の高齢夫婦がいた。
その広場を後にして、急な階段を登り「ゆめ風車」に向かう。すぐに周辺が深い樹木に覆われて心細くなってくるが、「アベマキ」「シロダモ」「ヤマザクラ」「コナラ」など樹木に付けられた名札が語りかけてくる。
山頂にある「ゆめ風車」は、旧新南陽市が平成2年にオランダのデルフゼイル市と姉妹都市提携をした後に建設されたもので、全国公募によって名づけられた。粉ひき用の風車で、八角形のバルコニーが付いている。
この辺りまで来ると、永源山がかなり深い森に包まれていることがわかる。巨木などが多く熊が隠れるには十分な場所と言えるであろうが、その反面、そばを走る国道2号線の騒音が絶えず聞こえてくる欠点もある。
今回の熊がどこから来たのかは不明であるが、どこから来ても不思議ではない。近くには、「神武天皇の東征のとき4匹の熊が現れた」などと熊との関りが地名の由来となった「四熊(しくま)」の深く高い山々がある。
その後、熊がどこに消えたのかは明らかになっていない。公園のそばを流れる神代川をさかのぼって四熊ヶ岳などに帰っていったとすれば、それが、熊にとっても人間にとっても最良の結果であったように思われる。
